
華僑と東南アジア ②島嶼部インドネシアの統治構造
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2025年8月、インドネシアで大規模な暴動が発生した。原因は、議員による多額の住宅手当の受給が発覚したことだった。特権階級が自らに都合のよい政治を行っているとの不満が高まる中、この報道を機に怒りが爆発。多くの市民がデモに参加し、その最中にアプリ系宅配の運転手が警備車両に轢かれて死亡する事故が起き、デモは暴動へと発展した。本稿では、この暴動の底流にある格差と統治構造の実相について考えてみたい。
目次
暴動の背景にある社会格差
いつの時代、どの国でも暴動の根底には格差がある。国民全体が一様に貧しければ、不満は暴動に発展しにくい。人々が怒りを覚えるのは、目に見える格差に直面したときだ。
少し話が逸れるが、日本はバブル崩壊以降、およそ30年にわたって不況に苦しんできたにもかかわらず、一度も暴動が起きていない。政府を批判しても逮捕されることはなく、選挙という形で不満を表す機会があったことも、一定のガス抜きになったのだろう。
しかし本質的な理由は、格差が比較的小さい社会であったからだと思う。暴動が起きたインドネシアと比べれば、日本の格差など可愛いものである。
インドネシアには大きな格差が存在する。そして、その根底には華僑の存在がある。華僑はインドネシアの人口のわずか3%程度とされるが、経済の実権を握っている。インドネシア経済を語るうえで、華僑が築き上げた財閥の存在を無視することはできない。

難民から財閥へ──華僑の歩み
華僑の歴史はオランダ植民地時代にまで遡るが、その数が大きく増えたのは第二次世界大戦後のことだ。国共内戦やその後成立した共産党政権を避け、中国本土から多くの人々がインドネシアへ移住した。
もともと難民としてこの地に渡った彼らは、持ち前の勤勉さを生かして財を築いた。現在、私たちが目にする華僑は、当時の難民として渡ってきた人々の子や孫たちである。
もちろん、すべての華僑が財閥や大富豪になったわけではない。大多数の華僑は小さな商店を営むなどして生計を立て、一般市民として暮らしている。だが、それでも平均的なインドネシア人と比べれば、経済的に成功した人は多い。
華僑の成功が生んだ格差と宗教の溝
ここで考えるべきは、中国から逃れてきた難民が、わずか一世代で財を成すことができたインドネシアという社会である。海外からは、日本人は「Xenophobia(外国人嫌悪)」に映ることがある。
それが、先の参議院選挙における参政党の躍進や高市内閣の誕生にも影響したのではないかと思う。そうした日本社会では、中国からの移民が成功を収めるのは容易ではない。横浜や神戸に中華街があるが、そこに住む人々が財閥を築くことはなかった。
朝鮮半島とベトナムでも、華僑が大きな影響力を持つことはなかった。タイの華僑は他の国とは少し異なる。タイには多くの華僑が存在するが、タイ社会への同化を強く求められた結果、その多くはもはや「華僑」と明確に区別できない存在になっている。
同化が進んだタイに対し、インドネシア人と華僑との間には宗教の違いがある。インドネシア人の多くはイスラム教徒であるのに対し、華僑は儒教や道教、キリスト教、仏教など多様な信仰を持つ。日本人と同様に、宗教は華僑の生活において必ずしも強い制約とはなっていない。
一方、イスラム教徒はお酒を飲まない、豚肉を食べない、礼拝や断食月(ラマダン)などの生活習慣を大切にしており、宗教が日常生活に深く根付いている。経済的な格差に加えて宗教的背景の違いがある以上、インドネシア社会の中で両者の間に摩擦が生じるのは当然であろう。
多島国家を支える軍と非国家勢力
華僑と並んで、インドネシアを語る上で欠かせないのが軍の存在である。インドネシアは多くの島々から成り、民族的にもきわめて多様な国だ。ベネディクト・アンダーソンの著書『想像の共同体』は、インドネシアでの研究を基に書かれたものである。日本人とインドネシア人とでは、国家というものに対するイメージがそもそも異なる。
インドネシアは第二次世界大戦後に独立した。当時、旧オランダ領であった島々がひとつの国家として独立を果たした。カリマンタン島では、イギリス領だった地域の住民はマレーシア人となり、オランダ領だった地域の住民はインドネシア人となった。同じ島に住みながら、国境によって別の国民になってしまったのである。
そのような歴史的経緯の中で、「あなたは今日からインドネシア人だ」と言われても、ジャワ島やスマトラ島に住む人々に同胞意識を抱くのは難しかっただろう。この感覚は、すでに1,000年以上前の平安時代中期には北海道を除く地域の統一を果たしていた日本とはまったく異なる。
多くの島々をひとつに束ねるには、強い軍事力が必要だった。歴代の大統領であるスハルト氏、ユドヨノ氏、そして現在のプラボウォ氏もいずれも軍の出身である。
さらに、インドネシアの統治には非公式の勢力、すなわち闇組織の存在も無視できない。日本で言う暴力団に近い性格を持つこれらの組織は、軍の力をもってしても統制しきれない現実の中で、一定の役割を果たしてきた。闇組織は地元の軍や警察と独自の関係を築き、それぞれの地域を実質的に支配している。このようなメカニズムによってインドネシアは統一を保っている。
インドネシアは、政治の領域では軍が、経済の領域では華僑が強い影響力を持つ社会である。表面的には民主主義国家であり、特にアジア通貨危機に端を発した1998年の暴動でスハルト政権が崩壊して以降、民主主義が定着した国とみなされている。比較的公正な選挙が実施されており、あからさまな不正行為は発生していない。
しかし、だからと言って民意が十分に反映された政府が形成されているとは限らない。この点については、日本の有権者にも実感があるかもしれない。
軍と華僑が支配する強靭な統治構造
2014年にジョコ・ウィドド政権が誕生したことは、インドネシアにおいて民主主義が定着したことを象徴する出来事のように思われた。家具製造業を営む家庭に生まれたジョコ氏は、庶民出身の大統領として注目を集めた。前任のユドヨノ氏は軍人出身であり、そのさらに前任のメガワティ氏は国父スカルノの娘として知られる名門出身の政治家である。
ジョコ氏は、こうしたエリート層とは異なる背景を持っていた。
庶民派大統領として期待されたジョコ氏だったが、次第にインドネシア政界の既存勢力に取り込まれていった。彼の息子は、かつての政敵であったプラボウォ氏の副大統領を務めている。庶民出身の大統領でさえ、いつの間にか軍と華僑財閥が支配する政治構造の中に組み込まれていく。それほどまでに、軍と華僑を軸としたインドネシアの統治構造は強固なのである。

こうした体制のもとで進められる経済開発は、結果として富める者をさらに豊かにしていく。首都ジャカルタを訪れた日本人ビジネスマンは、林立する高層ビル群に圧倒されることだろう。インドネシアは人口2億8,000万人を超える大国であり、石油や天然ガス、パームオイルなどの豊富な天然資源を有している。こうした光景を目の当たりにすれば、「これからはインドネシアの時代だ」と思わず感じてしまう。
首都移転に見た格差是正の限界
しかし、ジャカルタの郊外にはいまも貧困が残り、カリマンタン島やスラウェシ島、ニューギニア島西部などの地域はさらに厳しい状況にある。繰り返しになるが、インドネシアは格差の大きな社会である。
そうした状況を少しでも是正しようと、ジョコ氏はカリマンタン島への首都移転を打ち出した。貧しい地域に首都を移すことで、ジャカルタの既得権益層から一定の距離を置くことができると考えたのだろう。その発想は、僧侶などの既得勢力から離れるために、平安時代に桓武天皇が平城京から平安京へ遷都した事例にも通じるものがある。
しかし、実際には首都移転はあまりに大規模で複雑な計画だった。ジョコの退任後、この構想はいつの間にか有耶無耶になってしまった。
一方、現在のプラボウォ政権は子どもへの無償給食の提供を打ち出し、一部ですでに実施が始まっている。これは社会的弱者への支援という側面もあるが、選挙民へのアピールを意識したポピュリズム的な政策と見る向きもある。もっとも、こうした施策によって貧困層の経済状況が抜本的に改善されるわけではない。
プラボウォ氏は今回の暴動を受け、9月3日に予定されていた中国の戦勝80周年記念式典への出席を見送ると発表した。しかしその後、中国側の強い要請を受け、最終的には参加に転じた。この対応は、インドネシアにとって中国がいかに重要なパートナーであるかを如実に示している。

対日観の再評価と対中依存の現実
現在のインドネシアを単純に「親日国」と捉えるのは危うい。日本は長年にわたり、JICAなどを通じてインドネシアへの多額の援助を続けてきたが、それにもかかわらず、ジャカルタとバンドンを結ぶ初の高速鉄道建設は中国企業が受注した。
日本がアジアで圧倒的な経済力を誇っていた1990年代まで、インドネシアは日本にとって有力な投資先だった。しかし、中国が巨大な経済圏を形成した今、その構図は大きく変わっている。軍と華僑が社会の中枢に影響力を持つインドネシアは、日本企業にとって容易な市場ではない。
この夏の暴動は、インドネシア事情に詳しくない日本人にも、同国がいまだ社会的・政治的に不安定な側面を抱えていることを強く印象づけた。同時に、インドネシアが日本にとって以前よりも「遠い国」になってしまったことを、思い知らせてくれる出来事だったのかもしれない。
川島博之氏 主な著書
『日本人の知らないベトナムの真実(扶桑社新書)』
中国と国境を接し、2000年の歴史を持つが、日本と全く異なる社会主義の世界を紹介! ベトナムの歴史、政治、経済、産業がわかる!
その他、『「食糧危機」をあおってはいけない』『農民国家・中国の限界』『「食糧自給率」の罠』『極東アジアの地政学』など。
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