絞り込み検索
Keyword
Category
Tag
トップ ASEAN・海外展開
華僑と東南アジア ①大陸部のタイとベトナム

華僑と東南アジア ①大陸部のタイとベトナム

  • ASEAN・海外展開
  • # 寄稿記事

最終更新日:

公開日:

バナー画像です

東南アジアでビジネスを行う際、華僑に関する知識は欠かせない。学問的には中国戸籍を持つ人を華僑、現地国籍を取得した人を華人と呼ぶが、ビジネス上はこの区別はあまり意味を持たない。我々が東南アジアで接する中国系の人々を華僑と呼んで差し支えないだろう。国によって在り方の異なる華僑だが、今回は大陸部にあるタイとベトナムの華僑について述べたい。

東南アジアに広がる華僑の歴史と特徴

東南アジアには華僑が多く住んでいる。概数を図表1に示すが、華僑が最も多く住んでいるのはタイとされ、それにマレーシアが続く。東南アジアの7ヵ国に住む華僑の合計は2,300万人にものぼる。

図表1 華僑人口(2023年)

図表2 全人口における華僑人口の割合(2023年)

注:上記データは概算であり、華僑が東南アジアに多く見られることは確認されているが、正確な人口に関する信頼できるデータは存在しない。現地の人々との同化が進んでおり、どこまでを「華僑」と見なすべきかの判断が難しいためである。また、華僑という呼称に対する捉え方も個々に差があるため、詳細な調査を行うことはプライバシーに踏み込むことになりかねない。

 

華僑は、清朝末期から中華民国にかけて中国が混乱していた時代に、海外に職を求めて渡ってきた人々の末裔である。現在は子や孫、曾孫の世代になっているが、華僑は2世代目、3世代目になっても中国語を話す。この点は、米国や南米に渡った日本人の末裔とは大きく異なる。日本からの移民の子孫は多くが日本語を話せない。ペルーの大統領になったフジモリ氏や、「歴史の終わり」を書いた米国のフクヤマ氏を見れば、そのことはよく分かる。

 

華僑が渡ってきた時代、タイを除く東南アジアは欧米の植民地であった。当時の東南アジアは人口が希薄であったために、欧米は労働力として中国南部に住む人々を雇用し、それが東南アジアにおける中国人増加の要因となった。ただ、一旗あげようとして東南アジアに渡ってきた中国人も多い。

 

華僑は福建省や広東省潮州から来た者が多く、その中には客家と呼ばれる人々も含まれている。客家は中国人ではあるが独自の文化を持ち、戦乱を逃れて中原から福建省周辺に移り住んだ人々とされる。

 

日本では、華僑を中国政府が外国に派遣した人々と見る向きもあるが、それは誤りである。華僑は中国を追われた人々の末裔と考えたほうが正しい。中国では貧しくて生きていけないため、やむを得ず海外に活路を求めた。その子孫が東南アジアで商売を行い、成功を収めていったのである。

 

そうした経緯から、彼らには中国共産党に対する距離感が見られ、強い支持を示すことは少ない。そのため、華僑を一概に中国共産党の影響下にあると判断するのは適切ではない。ただ、中国語を話し中国に愛着を持っていることも確かである。華僑とビジネスを行う際には、この辺りの機微を理解する必要がある。

 

東南アジアに住む華僑は経済面で大きな力を持っている。それは、華僑が東南アジアの人々に比べて商売上手であったためだ。この状況は、ユダヤ人が数字に明るく、キリスト教社会で賎業とされた金融業に従事したことと似ている。

華人に同化を求めたタイ

次に、タイとベトナムの華僑について見てみよう。タイは華僑人口が最も多い国とされるが、そのタイで華僑はあまり目立つ存在ではない。それは1930年代に華人に対して強制的な同化政策が行われた結果である。漢字の使用を禁じ、名前もタイ風に改めさせた。これは、タイで立憲革命が行われた時期にナショナリズムが高揚したためである。

図表3 1930年代のタイにおける華人に対する同化政策の一例

1930年代の中国は、日本や欧米の侵略によって大きく乱れていた。そんな時期にタイは華人に対して、タイへの同化を求めたのだ。タイに中華街を作ることや、入り口に漢字を書いた門を立てることさえ禁止した。そのため、タイの華僑が自分は華僑だと名乗るケースは少ない。ほとんどがタイ人との混血を重ね、タイ社会に同化している。

 

タイは「微笑みの国」と呼ばれるが、実際は「外交が上手な国」でもある。中国が混乱し弱体化していた時代には、華僑に同化を求めた。しかし21世紀になって、中国が米国に次ぐ超大国になると、華僑に対する態度を一変させた。現在のバンコクには中華街があり、そこには漢字で書かれた門も存在する。

 

華僑の多くは経済的に成功し、タイの王族と姻戚関係を結ぶ例も少なくない。近年のタイ政局を語る上で欠かせない、黄色シャツと赤シャツの対立も、この華僑と王族の関係を踏まえると理解しやすい。タイ王室のカラーは黄色だが、もともと黄色は中国の皇帝のカラーでもある。中国の皇帝は黄色い衣服をまとった姿で描かれることが多い。黄色シャツ派はバンコク周辺に住む富裕層や支配階層を中心に構成され、対抗する北部や東北部の農民は赤をシンボルカラーとしている。赤は共産党のカラーに由来するのだろう。

 

タクシンは王室を中心とした支配層と対立しているが、華僑の末裔であり中華系であることに変わりはない。タイは、華僑との混血が進んだ人々が、古くからタイに住んでいた人々を支配している国、と考えてよいと思う。

華僑を追放したベトナム

東南アジア大陸部においてタイと並ぶ大国であるベトナムでは、華僑が置かれた状況はタイと大きく異なる。現在ベトナムに住む華僑は少ない。それはベトナム戦争が終わった1975年に、ベトナム当局が華僑を追い出したからに他ならない。南ベトナム政府関係者やその協力者は小さな船に乗ってベトナムから逃れ、「ボートピープル」と呼ばれた。難破して命を落とした者も多く、その中に多くの華僑が含まれていた。

 

ベトナム戦争当時、南ベトナムには約100万人の華僑が住んでいた。1975年当時のベトナム人口は4,500万人と現在の半分程度だったため、華僑の存在感は大きかった。サイゴンのショロン地区は華僑が多く住む地域として有名だったが、その90%が国外に脱出したとされる。戦争の混乱が収まると華僑は少しずつ戻ってきたものの、その存在感は東南アジア諸国の中では圧倒的に小さい。

 

タイとベトナムでは、インドネシアやマレーシアなど島嶼部に比べて華僑は目立つ存在ではない。これは先に述べたような歴史的背景に起因する。タイは同化政策、ベトナムは追放という手段をとったが、その対応は対照的である。これは、中国と直接国境を接していなかったタイが中国の軍事的脅威を受けず、華僑に対して穏健な対応をとれた一方で、ベトナムは歴史上、常に中国の脅威に晒されており、国民に反中感情が強かったためと思われる。

対中感情が分けた日本と韓国のビジネス展開

ベトナムに華僑が少ないという事実に日本人はほとんど注意を払わなかったが、韓国はそれに着目した。21世紀に入り国力が増した韓国は東南アジアへ進出しようと考えた。しかし、タイはすでにトヨタやホンダといった日本企業が進出しており日本の影響力が強い。インドネシアやマレーシアでは華僑の影響力が大きい。朝鮮半島が中国と陸続きであるため、韓国人は中国人が商売をする上でいかに手強い相手であるかよく知っていた。歴史的に中国からの圧力や影響を受けてきた韓国人は、進出先として華僑が少ないベトナムを選んだ。結果として、現在ベトナムには約20万人の韓国人が住む一方、日本人は約2万人に過ぎない。この違いは日本人と韓国人の、中国人に対する感情の違いを反映しているといえよう。

 

現在の東南アジア情勢を理解するには、華僑に関する知識が欠かせない。

川島博之氏 主な著書
『日本人の知らないベトナムの真実(扶桑社新書)』
中国と国境を接し、2000年の歴史を持つが、日本と全く異なる社会主義の世界を紹介! ベトナムの歴史、政治、経済、産業がわかる!
その他、『「食糧危機」をあおってはいけない』『農民国家・中国の限界』『「食糧自給率」の罠』『極東アジアの地政学』など。
詳しくはこちら:https://www.amazon.co.jp/stores/author/B004LVTW9Y

執筆者
川島 博之
ベトナム・ビングループ主席経済顧問
Martial Research & Management Co. Ltd.,
チーフ・エコノミック・アドバイザー

1953年生まれ。77年東京水産大学卒業、83年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経て、現職。