
中国文明とインド文明の混在、地域としての一体感の欠如
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教育や報道の欠如が生んだ東南アジアに対する知識不足
日本人の東南アジアに関する知識が乏しいものになってしまった最大の原因は、学校では何も教えられなかったからだ。世界史の教科書はギリシャ・ローマ以来のヨーロッパ史と、中国や朝鮮の歴史が中心であり、東南アジアについて学ぶことはほとんどない。
また、日頃テレビや新聞を見ていても、米国や中国に関する報道は多いが、東南アジアに関する報道は少ない。東南アジアに出張や赴任が決まって、その国のことを調べようと思っても、適当な本が見つからない。
アジアを二分する中国とインドの影響
今回は、まず東南アジアの大陸部がインドシナとも呼ばれている理由について説明したい。アジアは、中国の影響が強い地域とインドの影響が強い地域に二分できる。歴史の中で日本は中国の影響を強く受けてきた。日本の文化や文明は、中国の仲間と見ることができる。
ただし、1996年に出版され、2001年9月11日に起きた同時多発テロを予言した書物として注目を集めたハンチントンの『文明の衝突(Clash of Civilizations)』(ハンチントンは亡くなったが、ウクライナ戦争を予言した本でもある)では、日本文明は中国文明とは異なるとされた。このことは日本人の自尊心を大いにくすぐったが、それでも日本文明が中国文明から大きな影響を受けたことは確かであろう。漢字、儒教、大乗仏教は中国に由来する。
アジアのもう一方の雄であるインド文明は、バングラデッシュ、ネパール、スリランカを含んでいる。ここで、パキスタンの位置付けは微妙である。パキスタンは独立の際にインドから分離した経緯があるが、その在り方は西アジア諸国に似ている。
「インドシナ」と呼ばれる東南アジアの歴史的背景
中国とインドではコメが作られている。一方で、パキスタンより西の地域ではコメはほとんど作られていない。日本人はアジアと言うと、インドよりも東の地域を思い浮かべるが、それはそこでコメが作られているからだ。コメを作っていない西アジアは、どこか遠い世界に感じられる。
東南アジアではほぼ全域でコメが作られている。このことから、日本人は東南アジアに親近感を抱く。そんな東南アジアであるが、そこには「東南アジア文明」と呼べる共通した文化・文明は存在しない。
熱帯林や熱帯雨林によって交通が妨げられてきたことにより、東南アジアには大きな国が出現しなかった。代わりに、熱帯林や熱帯雨林の間に小さな集団が並立する時代が続いた。その小さな集団は中国、インド、日本のような独自の文明を熟成させることがなかった。
そのため、東南アジアは中国文明とインド文明が入り混ざる地域となった。それを見た西洋人が「インドシナ」と呼ぶようになり、これが東南アジアがインドシナと呼ばれるようになった所以である。

中国の影響を受けたベトナム文化の形成
当然のこととして中国の影響が強い国もあれば、インドの影響が強い国もある。ベトナムは中国の影響を強く受けた。ベトナムは約1,000年前まで中国の植民地だった。939年に独立を果たしたものの、その後も中国は事あるごとにベトナムを侵略した。このような事情があるためにベトナム人は中国を嫌ってはいるが、陸路国境を接する中国が圧倒的な文明を持っていたため、ベトナムの文化は中国の影響を強く受けることとなった。
ベトナム文化の根底には儒教と大乗仏教がある。日本の仏教も大乗仏教であり、ベトナム人と日本人の宗教観はよく似ている。また、ベトナムは早くから中国の科挙を取り入れたが、このことはベトナム人に学問をすることが出世につながるとの意識を植え付けた。これは近年、大学進学率(短大・専門学校を含む)が驚異的に増加した理由であり、既にベトナムの大学進学率は50%にもなっている。
華僑の商業的成功と東南アジアでの影響力
ベトナム以外の国々は、華僑を通じて中国文明の影響を受けた。華僑は東南アジアを語る上で外すことができない。華僑とは、中国が混乱した清朝末期から中華民国時代にかけて、世界各国に移り住んだ人々とその末裔を指す。多くは福建省と広東省北部の出身であり、現在活躍している人々は2世や3世である。
日本人は海外に渡ると、2世でも日本語を上手く話せなくなってしまう人が多いが、華僑は3世でも中国語を話す。そして中国語を使って、東南アジア各地に住む華僑とのネットワークを築き、ビジネスを行っている。中国が世界第2位の経済大国になった現在、中国本土とも活発にビジネスを行っている。
華僑は商売が上手で、富を蓄えている。それによって東南アジアで大きな力を持つようになった。ただし、例外はベトナムである。ベトナムはベトナム戦争終結後、多くの華僑を海外に追放した。その結果、現在ベトナムに住む華僑は少ない。
インド商人による文化と宗教の伝播

華僑が東南アジアに住み着いたのはここ100年ほどのことに過ぎない。そのためにベトナム以外の国が中国から大きな影響を受けることはなかった。一方、インドは東南アジアに大きな影響を与えた。それは1,000年以上前から、インドの商人が船に乗ってやって来たからだ。インド商人は商品だけでなく文明も運んできた。その結果、東南アジアにインド文明が定着した。
インドからヒンズー教、上座部仏教、そしてイスラム教が伝えられた。ミャンマーとタイには、スリランカを経由して上座部仏教が伝えられた。タイ、カンボジア、インドネシアではヒンズー教の影響も残っている。有名なアンコールワットは、仏教とビンズー教が混在した遺跡である。タイとインドネシアにはヒンズー教の聖典である叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』が伝わり、両国の文化に大きな影響を与えた。インドの神話に登場する怪鳥ガルダはインドネシアのエアラインの名前にもなっている。
宗教や文化的背景の違いが生むASEANの課題
そんな東南アジアの中でフィリピンは例外である。南部のミンダナオ島にはイスラム教が伝来したが、北部のルソン島などは16世紀以降にスペインの影響を受けてカトリック化した。フィリピンの文化の根底にはカトリックが存在し、フィリピン人の行動パターンはラテン的で、他のアジア人とは異なる。
EUはカトリック、プロテスタント、ギリシャ正教の違いはあるものの、キリスト教を背景にして成立している。そのため、イスラム教徒が多く住むコソボやトルコがEU加盟を希望した際には、大きな問題となった。
一方、ASEANの宗教は国によって異なる。ベトナムは大乗仏教、ミャンマー、タイ、カンボジアは上座部仏教、マレーシア、インドネシアはイスラム教、そしてフィリピンはカトリック。シンガポールは中国系、マレーシア系、インド系が混じり合うことから、世界でも稀に見る多くの宗教が共存する国になっている。
このように宗教や文化的背景が大きく異なるため、ASEANではEUのように加盟諸国間の関係が深まらない。EUはシンゲン条約によって加盟諸国間を自由に移動できるが、ASEANでは移動の自由は認められていない。ASEANは自由貿易圏に留まっており、今後も移動の自由が認められることはないだろう。
一体感のない東南アジア

「東南アジア」という名称はあるものの、それを一つのまとまりとして見ることはできない。それぞれがバラバラに存在している。ミャンマーとタイを除けば、歴史において隣国との深刻な戦争も経験しておらず、関係が疎遠なのだ。その結果、近くにありながら、タイとベトナムの文化は全くと言ってよいほど異なったものになってしまった。
東南アジア諸国はつながりが弱い。ASEANという枠組みがあっても一体感はない。このことが東南アジア理解の第一歩になる。
川島博之氏 主な著書
『日本人の知らないベトナムの真実(扶桑社新書)』
中国と国境を接し、2000年の歴史を持つが、日本と全く異なる社会主義の世界を紹介! ベトナムの歴史、政治、経済、産業がわかる!
その他、『「食糧危機」をあおってはいけない』『農民国家・中国の限界』『「食糧自給率」の罠』『極東アジアの地政学』など。
詳しくはこちら:https://www.amazon.co.jp/stores/author/B004LVTW9Y
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