
対中を見据えた トランプの東南アジア戦略
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トランプ大統領が再登板して以来、世界は彼に振り回され続けている。ただ、最近はウクライナの和平問題への対応に追われているためか、東アジアへの言及は少ない。それでも、これまでの動きを辿れば、彼が東アジアをどうしたいのか、その意図を垣間見ることができる。本稿ではフィリピンとベトナムに焦点を当て、トランプ政権の東南アジア政策を読み解く。
執筆日:2025年3月24日
目次
フィリピン
ドゥテルテ前大統領の逮捕
フィリピンでロドリゴ・ドゥテルテ前大統領(任期2016〜2022)が、3月11日に逮捕され、国際刑事裁判所(ICC)のあるオランダ・ハーグに移送された。ドゥテルテは、麻薬に関わる犯罪者を裁判にかけずに殺害したとされ、その数は6,000人とも3万人とも言われている。その中には冤罪も多く含まれていたとされる。
ICCはドゥテルテに対し、人道に対する罪で逮捕状を出していたが、彼が大統領だった2019年にフィリピンがICCを脱退したことから、これまで逮捕を免れていた。今回の突然の逮捕劇は、全くと言って良いほど予想されていなかった。水面下で何が起きていたのであろうか。
米中の代理戦争としての政権対立
2022年の大統領選挙ではボンボン・マルコスが当選し、当初はマルコス大統領とドゥテルテの関係は良好だった。マルコス政権の副大統領にはドゥテルテの娘、サラが就任している。だが、そんな両者の関係は次第に険悪になっていった。きっかけは中国をめぐる対応の違いだった。
ドゥテルテが大統領に就任した2016年当時、中国経済は飛ぶ鳥を落とす勢いで、いずれその経済力は米国をも上回ると言われていた。ドゥテルテはその経済力に期待を寄せ、中国からの投資を増やし、フィリピン経済の底上げを図ろうとした。2019年には北京を訪問し、習近平と会談している。
ただ、一般にフィリピン人の中国に対する感情はあまり良くない。国内には華僑が多く、彼らが経済に強い影響力を持っているという見方が根強いからだ。そうした対中感情を承知のうえで、ドゥテルテは中国との関係強化を進めた。その大胆さには、国内外で物議を醸した麻薬対策と通じるものがある。彼は極端な政策を好み、民衆の反発を覚悟のうえで、中国からの投資を増やそうとした。
フィリピンはかつて米国の植民地だった。ただ、米国は広大な国土と豊富な資源を持ち、それだけでも豊かな経済を築くことができたため、その植民地政策はフランスやオランダのように搾取を伴うものではなかった。太平洋戦争中、フィリピンは一時的に日本の軍政下に置かれたが、米軍が再上陸してフィリピンを解放している。戦後、米国はフランスやオランダとは異なり、あっさりと独立を認めた。こうした経緯もあり、フィリピン人の米国に対する感情はそれほど悪いものではない。英語を話す国民が多く、基本的には親米的である。フィリピンは米国と安全保障条約を結んでいる。
マルコスが大統領に就任した2022年頃から、中国経済に翳りが見え始めた。もはや中国に多くを期待することはできない。そう考えたマルコス大統領は、米中対立のなかで親中路線を転換し、米国側に舵を切った。南シナ海の環礁の領有をめぐっては、国内の反中感情に後押しされる形で、中国に対して強硬な態度に出た。フィリピンと中国は、この小さな環礁をめぐって激しく対立している。
マルコス大統領の路線変更は、親中路線をとってきたドゥテルテとの間に軋轢を生んだ。ドゥテルテは2023年7月に中国を訪問し、習近平国家主席と会談しているが、これは明らかにマルコス大統領の親米路線を牽制する動きだった。マルコスとドゥテルテの対立は、米中の代理戦争と言っても良い。
フィリピンは台湾防衛の要所に
そんななか、トランプが再選され、情勢は大きく変化した。マルコス大統領は、トランプ当選直後の昨年11月、ICCがドゥテルテを逮捕しようとするならば、それを拒まないと表明。そして今年3月、ドゥテルテは逮捕され、オランダ・ハーグに移送された。少し前まで、ドゥテルテの娘であるサラ副大統領は次期大統領の有力候補とされていたが、もはや彼女が大統領になることはないだろう。
ICCがドゥテルテを逮捕すればマルコス政権は安定するが、バイデン政権はドゥテルテの逮捕に慎重な姿勢を示していたようだ。そこに、トランプ当選というニュースが飛び込んできた。マルコス大統領はこれをチャンスと捉えた。
おそらくマルコス大統領は、水面下で大使館を通じてトランプ政権と綿密な打ち合わせを行ったうえで、ドゥテルテの逮捕に踏み切ったと思われる。ドゥテルテは一切の抵抗を見せずにオランダへ移送されたが、マルコス大統領の背後にトランプ大統領がいる以上、抗っても無駄だと判断したのだろう。
トランプ大統領は搦手から中国を攻めている。仮に中国が台湾へ侵攻しようとした際に、台湾のすぐ南に位置するフィリピンが米中どちらの側につくかで、軍事作戦に大きな影響が出る。米軍がフィリピン国内の基地を自由に使うことができるなら、中国にとって台湾侵攻は極めて難しくなる。
ほとんど報道されていないが、このドゥテルテの突然の逮捕劇を見た習近平主席は大きなショックを受けているはずだ。南シナ海の情勢は、しばし平穏に推移する可能性が高い。
ベトナム
米国の貿易赤字に支えられるベトナム経済
トランプ政権の大きな目標の一つに、米国の貿易赤字の解消がある。では、それは東南アジア経済にどのような影響を与えるのか。図表1に米国が貿易赤字を計上している国を、赤字額の大きい順に並べた。
最も赤字額が大きいのは中国で、その額は2,954億ドルにのぼる。1ドル150円で換算すると約44.3兆円に相当する。米国が貿易問題で中国を目の敵にしている理由がここにある。中国だけで米国の貿易赤字全体の4分の1を占めている。
日本に対する貿易赤字は685億ドル(10.2兆円)である。米国の赤字は日本にとっては黒字であり、GDPの押し上げ要因になるが、2024年の日本の名目GDPは609兆円であり、対米黒字が占める割合はわずか1.7%に過ぎない。
一方、ベトナムに対する赤字は1,235億ドルで、日本やドイツを上回り第3位となっている。ベトナムの2024年のGDPは4,600億ドルであり、対米黒字はGDPの27%を占める。米国向け輸出がベトナム経済を支えていると言っても過言ではない。ゆえに、もしトランプ大統領がベトナムに高関税を課せば、それはベトナム経済に致命的な打撃を与える。
中国の工場移転が追い風に
2021年、中国の不動産大手である恒大集団が破綻し、不動産バブルの崩壊が顕在化した。この頃から中国国内の工場の海外移転が目立つようになった。隣国であり、かつ社会体制も似ているベトナムは、中国の工場の良い移転先になった。特に2023年秋、「もしトラ(もしトランプが大統領になったら…)」などと言われ始めてからは、その動きが一段と加速した。ベトナム経済が好調と言われる背景には、中国からの工場移転という構造的要因がある。
対中戦略の中のベトナムの役割
こうした状況のなかで、トランプ大統領は確実にベトナムに目をつけている。しかし、本稿執筆時点(2025年3月24日)において、トランプ政権がベトナムを名指しして関税を課すような動きは見られない。その理由として、以下の2点が考えられる。
① 対中圧力の緩衝材としてのベトナム
トランプ大統領の主たる標的はあくまで中国である。米国は中国からの輸入を抑えたいが、全面的にストップさせれば、国内の物価が上昇することになる。その代替として、ベトナムから安価な製品を輸入したい。つまり、中国の工場がベトナムに移転するのは、米国にとっても好都合である。かつての日本がそうであったように、工場を海外に移転すれば中国国内は疲弊し、一方で米国は安価な製品の供給源を確保できる。
② 対中包囲網の一環としてのベトナム
中国とベトナムは、有史以来およそ2000年にわたって対立を繰り返してきた。同じ社会主義国でありながら、両国の関係は必ずしも良好とは言えず、中国にとってベトナムは扱いにくい隣国である。そんなベトナムを味方に引き入れておくことは、戦略的に大きな意味を持つ。50年前にベトナム戦争で戦火を交えた相手でもあり、社会主義国であるベトナムを完全に味方に引き込むのは難しいが、ベトナムと友好的な関係を築いておくことは、台湾有事を見据えた場合、米国にとって確かなメリットになる。
主にこの2点が理由となり、これまでのところトランプ大統領がベトナム製品に関税を課すような発言は見られないのだろう。
現在、トランプの関心はウクライナ問題にあるが、これが一段落すれば、彼の関心は中国へと向かう。これまでの政策の動きを見る限り、トランプの外交方針は決して思いつきではなく、かなり練られたものになっている。トランプは中国を主敵と位置づけており、我々はそのことを念頭に、東南アジアでのビジネスを構築していかなければならない。









