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タイは中進国の罠から抜け出せるのか 宗教と価値観から読み解く構造的課題

タイは中進国の罠から抜け出せるのか 宗教と価値観から読み解く構造的課題

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中進国の罠とは、発展途上国の一人当たりGDPが1万ドル程度に達した後、成長が鈍化し、高所得国へ移行できなくなる現象を指す。タイの一人当たりGDPは約8,000ドルに達したが、成長率は2023年が2.0%、2024年も2.5%と明らかに鈍化している。株価指数SETも過去10年ほど横ばいで、タイは中進国の罠に陥っている。本稿では、タイがこの罠から抜け出せるのか、タイ人の精神的特性から考えてみたい。

中進国の罠から脱却した国々に共通する儒教的価値観

中進国の罠にはまった国としては、アルゼンチン、ブラジル、チリ、メキシコといった中南米諸国に加え、マレーシアやトルコなどが挙げられる。一方で、この罠を抜け出した国には、日本、韓国、台湾、香港、シンガポールがある。

開発経済学の教科書では、経済がある程度発展した段階からさらに成長を遂げるためには、産業の高度化と中産階級の拡大が必要だとされている。経済が順調に成長すれば、いずれの国でも産業は高度化し、中産階級も増える。しかし、中進国の罠にはまった国では、それがうまくいかない。

中進国の罠を抜け出した国々は、いずれも東アジアに位置している。最近はあまり聞かなくなったが、マックス・ヴェーバー(1864〜1920)に『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という著作がある。彼は、資本主義が発展するためには単なる拝金主義ではなく、勤勉、正直、誠実、禁欲といったプロテスタントの倫理が必要であると説いた。

20世紀の中頃まで、資本主義はイギリスやドイツ、そして米国において発展が著しかったため、ヴェーバーの学説にもそれなりの説得力があった。だが、その後、日本などが先進国の仲間入りを果たすと、ヴェーバーの学説はあまり顧みられなくなった。しかし、経済の発展には資本、土地、労働力といった経済学的要因だけでなく、精神的側面も重要であるという指摘は、今なお有益であると思う。

中進国の罠を抜け出した日本、韓国、台湾、香港、シンガポールでは、いずれも儒教の影響が強い。シンガポールは東南アジアに位置するが、華僑が多いため、その精神的な基調は儒教にある。儒教が強い影響力を持つ国では、しばしば厳格なルールが作られやすい。儒教は勤勉や禁欲を重んじる点で、プロテスタンティズムの倫理に近い精神性を持っている。

タイ社会を読み解く鍵となる仏教の分岐と歴史的背景

タイは上座部仏教の国である。タイの人々のものの考え方は、この上座部仏教に根ざしており、大乗仏教徒であり、かつ儒教の影響を強く受けている日本人とは明らかに異なる。

著者は宗教学者ではないが、過去35年にわたり、農業と環境の関係を研究するために中国や東南アジアの農村を歩き回ってきた。その経験から言えば、ある国を理解するには、人々が信じる宗教を知ることが欠かせないと感じている。

まず、仏教の歴史について簡単に触れておきたい。仏教の開祖は、紀元前6世紀頃にインドに生まれたブッダである。当時のインドでは、バラモン教(ヒンズー教の古形)が支配的だったが、仏教はそれに対する異端として出現し、広く信者を獲得した。

バラモン教は、人々をバラモン(司祭階級)、クシャトリア(王族・武人)、ヴァイシャ(商人・農民)、シュードラ(隷属民)の四つの階層に分けた。それに対して仏教は、すべての人は平等であると説いた。また仏教は、人がなぜ苦しみ悩むのかという、人生の根本問題にも迫った。

ブッダは自らが悟りを開くと同時に、大衆の心の救済にも力を注いだ。ブッダの周囲には自然に教団が形成されたが、その教団はブッダの死後、次第に変質していく。ブッダの後継者たちは、自らが悟りを開くことを中心課題とし、大衆の救済を軽視するようになった。

こうした姿勢への批判から、紀元前1世紀から紀元1世紀にかけて、大乗仏教が興った。その運動の中心は、現在のパキスタン北部からアフガニスタンにかけてのガンダーラ地方にあった。「大乗」とは「大きな乗り物」を意味し、万人の救済を目的とする教えである。
大乗仏教を作った人々は、自己の救済のみに注力する旧来の仏教を「小乗仏教(小さな乗り物)」と呼び、否定的に位置付けた。大乗仏教は北伝仏教とも呼ばれ、インドよりもむしろ中国を経由して朝鮮半島、日本、ベトナムへと伝播し、これらの地域に大きな影響を与えた。

図表1 仏教の伝播経路

唐の時代、玄奘三蔵(602〜664)が仏典を求めてインドを旅した話は、それをもとに創作された『西遊記』という物語とともに広く知られている。

我々日本人が知っている仏教は、この大乗仏教である。一方で、タイ人は上座部仏教の信徒である。今日では、「小乗仏教」という呼称には侮蔑的なニュアンスが含まれるため、一般には使われなくなっている。上座部仏教とは、ブッダを中心に座った際に上座に座っていた人々がその意思を継承した仏教という意味である。

図表2 タイにおける仏教の歴史

上座部仏教に根ざすタイ人と儒教的な精神も受け継ぐタイ華僑

仏教の歴史について概略を述べてきたが、ここに記した内容は、我々日本人がタイの人々の精神を理解するうえで重要である。タイでは、男性は人生において一度は出家するものとされている。現在では簡易な出家が主流のようだが、かつては数ヵ月から一年程度、出家して修行に励むことが一般的だった。出家し、個々人が自らの解脱を目指す――これが上座部仏教においては重要とされる。

この上座部仏教は、ある意味でエリート仏教と呼ぶこともできる。出家中の費用は家族などが負担しなければならず、裕福な家庭でなければ長期間にわたって出家するのは難しい。また、性別による制約があり、男子しか出家できない。さらに、修行して解脱した人と、出家しなかったために解脱できていない人とのあいだに、精神的なヒエラルキーが生まれやすいという側面もある。そうした点で、上座部仏教には一定の排他性が見られる。

タイに来た日本人が不思議に感じるものの一つに、「タンブン」がある。これは僧侶に対して、一般の人々が食べ物やお金を差し上げる行為を指す。日本の托鉢僧へのお布施に似ているが、異なるのは、日本では僧侶がお布施を受けた際に一般人にお礼を言うのに対して、タイでは一般人の側が僧侶にお礼を言うという点である。人々は、僧侶がお布施を受け取ることで、自分たちが徳を積む機会を与えてくれたと考え、そのことに感謝の意を表す。出家して解脱に至った僧侶は、社会的にエリートである。

どの国でもそうだが、宗教は国家権力と結びつく。タイもその例外ではない。タイの国王は、一度出家して解脱し、仏教上の徳を修めたことになっている。それゆえに国王を敬うことには、宗教的な意味も込められている。

上座部仏教は、エリート主義に傾きやすい。その一方で、仏教を生んだ亜熱帯の温和な土壌の中では、イギリスやフランスに見られるような、ノブレス・オブリージュ――すなわちエリートが率先して危険な任務に従事するという意識――が育つことはなかった。

もう一つ指摘しておきたいのは、仏教において禁欲は重要な徳目とされるが、勤勉はそれほど重視されないという点である。上座部仏教でも大乗仏教でも、勤勉は必ずしも美徳とされない。我々日本人が勤勉を徳目と捉えるのは、儒教の影響によるものである。

タイには儒教が本格的に伝播しなかった。この点に関連して、さらに指摘しておきたいのは、現在のタイの支配層には華僑の末裔が多く含まれているということである。タイの華僑は、他の東南アジア諸国と比べて現地化が著しく、中国語を話さない者も多い。しかし、それでも彼らは華僑としての伝統を受け継いでおり、その行動様式には儒教的な精神が含まれている。

中進国の罠からの脱却を阻むタイの精神的土壌と階級構造

これまで述べてきたことから、1932年の立憲革命以降、たびたび体制変革の動きがあったにもかかわらず、タイに強固な階級社会が残っている理由が理解できよう。王族とその周辺にいる華僑の末裔は、上座部仏教の信者であり、かつ儒教精神を継承しているため、比較的勤勉である。一方で、一般の民衆には儒教精神が根付いていない。

タイに赴任した日本人のなかには、タイの民衆は怠惰だと感じる者もいるかもしれないが、それはむしろ仏教的精神を体現しているに過ぎない。仏教においては、自己の利益のために勤勉に働くことは徳目とされず、解脱し心の平安を保つことこそが重視される。

近年、タイが中進国の罠を脱するには構造改善が必要だと言われることが多いが、その内容をよく聞いていると、中産階級の拡大を目指して社会システムを変えようとしているわけではない。インフラの整備や、より効率的に外資を導入する仕組みづくりを構造改善と呼んでいるようであり、そこにエリート層による上からの発想が感じられる。

いち早く資本主義を成功させたプロテスタント諸国、あるいは近年先進国入りを果たした東アジアの儒教圏と比べると、タイの精神と行動様式は大きく異なっている。その精神的土壌に照らしてみると、筆者は、タイが中進国の罠を抜け出すことは極めて難しいと考えている。

執筆者
川島 博之
ベトナム・ビングループ主席経済顧問
Martial Research & Management Co. Ltd.,
チーフ・エコノミック・アドバイザー

1953年生まれ。77年東京水産大学卒業、83年東京大学大学院工学系研究科博士課程単位取得のうえ退学(工学博士)。東京大学生産技術研究所助手、農林水産省農業環境技術研究所主任研究官、ロンドン大学客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科准教授などを経て、現職。

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