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「困りごとの相談」から始まった異分野連携! 浜野製作所が語る、日本の製造業が生き残る道

「困りごとの相談」から始まった異分野連携! 浜野製作所が語る、日本の製造業が生き残る道

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浜野製作所は「おもてなしの心」を経営理念とし、ロボット・装置・金型・部品などの設計・開発と、金属加工の技術を組み合わせ、幅広い対応力で様々な業界業種の「ものづくり」の課題をサポートしています。

本記事では、異分野連携のハブとして機能する「Garage Sumida」の誕生秘話と、スタートアップから大企業や大学、行政までを巻き込む広範な連携について、浜野氏にお話を聞きました。そこには、日本の製造業の未来を見据えた、大きな意義がありました。

2014年設立のGarage Sumidaが実現する異分野連携の仕組み

――浜野製作所が多種多様な企業や機関と連携するきっかけとなった「Garage Sumida」は、どのような経緯で設立されたのでしょうか?

株式会社 浜野製作所代表取締役会長の浜野慶一氏(以下、浜野):もともと弊社は、量産の部品加工と部品加工をするための金型の製作をしていました。その後、2000年の9月に精密板金と言う金型レスの少量多品種の部品加工を手掛けるようになり、少しではありますが、街の中華料理屋さんの壊れた五徳を直したり、近所のおじいさんの椅子の金具を溶接したり、「困っている人の相談窓口」のような役割を担ってきました。

現在では多くのスタートアップの技術支援や共創・協業をしておりますが、その先駆けとなったのは2012年のことでした。当時、早稲田大学2年生だった吉藤健太郎さん(株式会社オリィ研究所の創業者)が、ロボットを作りたいと相談に来たのです。

彼は当時まだ珍しかった学生ベンチャーとして起業しており、その志の高さに感銘を受け、支援を始めました。吉藤さんがビジネスコンテストで受賞するなど活躍するにつれ、他のスタートアップからも「浜野さんに相談すればよかった」といった声が聞かれるようになり、問い合わせが増えていきました。

吉藤さんと出会って数年が経った後に墨田区が「新モノづくり創出拠点事業」という100%補助金(10分の10補助)を出す制度をはじめました。比較的自由度の高い制度でもあり、場や設備の充実を図りたいと考えていた時期でもあったので、お客様の倉庫の一部を借りて、3Dプリンターやレーザーカッターなどのデジタル工作機械を導入し、2014年4月に「Garage Sumida」を立ち上げました。

立ち上げ当初は加工相談・部品製造などの支援をしておりましたが、2017年に新本社工場を新たに建て、本社工場の2階にインキュベーション施設を設けました。単なる加工相談・部品製造のみならず、事業計画策定のアドバイスや資金調達支援・事業全体としてのサポートを始め、設計・図面製作・部品加工・装置開発・ロボット製作など幅広いサポートを展開しています。設備や工場を持っていない、もしくは、装置を作るための相談先や人脈を持っていないハードウエア系スタートアップのトータル的な支援をしております。

なぜ町工場連携が日本の製造業復活の鍵となるのか

――浜野さんは異分野連携を推進されていますね。

浜野:そうですね。スタートアップだけでなく、大企業や大学、研究機関、行政機関とも連携し、新たな仕組みづくりや価値創出に取り組んでいます。

――若手社員の方が、自社の機械ではできないことを他の町工場に相談しに行くことがあると伺いました。様々な町工場に相談しに行くことは、日常的に行われているのでしょうか?

浜野: はい。弊社は金属の部品加工をしていますが、装置開発やロボット開発となると素材は金属だけでなく様々な素材や加工方法があります。社内ではできないものは社外の協力工場様に相談・依頼し、トータル的なものづくりを実現しています。

仮に一社の中で全ての設備を抱え、全ての技術者を育成しようとすると、莫大な時間と費用がかかります。土地を買って、建物を建て、設備を導入するというのは、今の時代の流れからすると効率的なやり方ではありません。

すでにそれぞれの業界、業種で専門的な超一流の技術を持つ方々や会社が存在しますので、僕らが今さら設備を入れて技術を導入するよりも、彼ら専門家と組んでプロジェクトを進める方が、スピード感と質を高めることができます。

――近年、町工場の縮小傾向が懸念されていますが、このような連携は、町工場全体の活性化にも繋がるのでしょうか?

浜野:そのような形に繋げられればいいと考えています。望むか望まないかは別として、我々を取り巻く環境や時代、背景はスピードを上げて大きく変化し続けています。自社は今までと変わらない事業を続けていながらも、様々な状況がどんどん変化して行く昨今、停まり続けている事は後退でしかないと感じます。

なんだかんだ言っても、日本は先進国です。新たに創業・起業するスタートアップの多くがデジタル系に集中しています。元手がかからなくて、バッと一気に市場規模が拡大をしていく。そういう会社が圧倒的に多いのが現状です。

しかし、そういった会社が考えたものを作る技術がなくなってしまったら、日本から基盤技術や素形材の技術が復活出来る可能性は極めて低い状況です。私は今、日本の町工場、大きな枠組みで言えば製造業がこの国に残っていけるかどうかの分岐点に立たされていると強く感じています。

実際にコロナ禍では、海外からの部品調達ができず、数十億円する機械が完成しないという事態が発生しました。将来、政治的な思惑で物資が供給されなくなるようなことがあれば、日本は本当に干上がってしまいます。

だからこそ、物が作れる技術や設備、人材を国内に残し続けることが、経済安全保障的にも非常に重要です。町工場同士の連携や、様々な企業・機関との連携は、日本の製造業全体の未来を支えるという大きな意味合いが込められています。

製造業の未来を見据えた事業承継の取り組み

――昨年行われた社長交代の背景には、どのような想いがあったのでしょうか?

浜野:2024年10月に私が会長に就任し、小林が社長に就任しました。私は29歳で父から会社を引き継ぎ、2代目経営者として、32年間社長を務めました。小林との出会いは約20年前のインターンシップで、彼は一橋大学の学生として弊社の業務改善に関わってくれていたんです。

卒業後、別の企業に就職したものの、「世の中を変えられるのは浜野製作所だけ」と感じ、弊社に入社した人物です。私自身60歳を過ぎ、30代・40代の若い世代に未来を創って欲しいとの思いから小林に次の経営を任せることにしました。

社長が見ている世界と、部長や社員が見ている世界は全く異なります。どれだけ経営に関わる実務をしていたとしても、社長になってみないと分からない景色、見えない景色があると、経験上感じています。だからこそ、自分で経験することが不可欠だと考えてのことでした。

ある役員会で、当時副社長だった小林が「来期はもっと経営にコミットした仕事をしていかないといけない」と発言した際、私は「経営に近い仕事ではなく、経営すればいいじゃないか」と返しました。その流れで、3分ほどで社長交代が決まったのです。

――3分で!?

浜野:そうなんです(笑)。もちろん、以前から熟慮を重ねた上での決定ですけれど。私は経営者としての父の姿を感じてきましたが、彼は僕とは違い、経営が身近にあったわけではありません。そこは慎重に向き合うべきだと思っています。

私が代表権を持ち・株式の大半を持ったまま会長に就任した理由は、彼がもし「自分は経営者向きではない」と感じた時に、いつでも引き返せる余地を残してあげたいという親心のようなものです。人生において方向転換できることは、大事なことですからね。

代を引き継いでからは、二重指示のような状態を避けるようにしています。現場や社員に直接指示を出すことはせず、小林社長を通じて意思決定がなされるよう心がけています。

――前編で「キャリアを自ら作っていく」というお話がありましたが、引き継ぎの背景にも繋がっているように感じました。

浜野:そうかもしれません。自身が思い描くキャリアを形成するために、弊社から社外へ出向に出ている社員もいます。

このような社内外での多様な経験は、若手のキャリア形成にとって非常に重要なポイントです。若手が成長できる場や環境を作っておくのが、私たち経営者や経営陣の仕事だと思っているからこそ、社内にとどまらず、社外の様々な機会も積極的に活用していきたいですね。

(前編はこちらから)
取材・文:池田アユリ