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現代の経営課題としての経済安全保障 対応が求められる背景と必然性

現代の経営課題としての経済安全保障 対応が求められる背景と必然性

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経済安全保障という言葉が、かつてないほどの頻度で日本企業の経営会議において飛び交うようになっている。これまで国家間の外交や防衛の文脈で語られることが多かった安全保障という概念が、なぜ近年、民間企業のビジネスの根幹を揺るがす重要課題として急浮上しているのか。冷戦終結以降、経済的合理性を追求できたグローバリゼーションの時代は終わりを迎えつつある。本稿では、世界的なパラダイムシフトの渦中に置かれた日本企業の視点から、経済安全保障への対応が急務となった背景とその必然性について、客観的かつ俯瞰的に紐解いていく。

背景1:米中技術覇権争いの激化と経済のブロック化

日本企業に経済安全保障への対応が求められるようになった第1の背景として挙げられるのは、国際秩序の地殻変動、とりわけ米中間の技術覇権争いの激化と、それに伴う経済のブロック化である。長らく世界は自由貿易を推進し、経済的相互依存を深めることで平和と繁栄を追求してきた。企業も、生産コストの最小化と市場シェアの最大化を目指し、国境を越えた最適なサプライチェーンを構築してきた。しかし、人工知能や半導体、量子コンピューティングといった新興技術が軍事力に直結する現代においては、経済と安全保障の境界は急速に薄れつつある。

米国は、これらの重要技術が中国の軍事力強化に転用されることを強く警戒し、エンティティ・リストを用いた輸出管理や、対内・対外投資規制を大幅に強化している。一方、中国も輸出管理関連法やデータセキュリティ法などを整備し、自国の巨大市場と強固な供給網を武器として他国に政策変更を迫る、いわゆる経済的威圧も辞さない姿勢を見せている。世界各地で事業を展開する日本企業は、この米中デカップリング、あるいはリスク低減を目指すデリスキングの狭間に立たされ、両国の法制度や制裁措置の板挟みとなる極めて複雑なコンプライアンスリスクに直面しているのである。

背景2:サプライチェーンの脆弱性の顕在化

第2の背景は、予期せぬパンデミックや地政学的危機によって、グローバルサプライチェーンの脆弱性が顕在化したことである。新型コロナウイルスの世界的流行は、特定の国や地域に極端に依存した生産・調達体制がいかに脆いかを白日の下に晒した。マスクや医療物資のみならず、半導体の供給不足は、自動車産業をはじめとする日本の幅広い製造業で工場稼働の停止を招き、深刻な経済的打撃を与えたことは記憶に新しい。さらに、ロシアによるウクライナ侵攻は、エネルギー資源や希少金属、食料の供給網を瞬時に寸断し、地政学的リスクが日々のビジネスに直結する過酷な現実を突きつけた。かつて日本企業が世界に誇り、追求してきた「ジャスト・イン・タイム」や「徹底したコスト削減」といった経営手法だけでは、もはや事業継続性を担保することはできない。調達先の多角化や戦略的在庫の積み増しといった「万が一」への備えへの転換や、同盟国・友好国を中心とした信頼できる供給網の再構築、いわゆるフレンド・ショアリングへの対応が、企業の生き残りを左右する急務となっている。さらに、特定のレアアースなどを独占する国家が輸出制限を外交カードとして切り出す経済的威圧の脅威も現実のものとなっており、サプライチェーンの強靱化は極めて実践的な課題となっている。

背景3:経済安全保障法制の整備

第3の背景は、日本国内における法制度の整備と、それに伴う国家の要請が企業活動へ直接及ぶようになったことである。日本政府は2022年に経済安全保障推進法を成立させ、同法に基づき、重要物資の安定的な供給の確保、基幹インフラ役務の安定的な提供の確保、先端的な重要技術の開発支援、特許出願の非公開に関する4つの制度を運用している。さらに、重要経済安保情報を取り扱う者の適性を確認するセキュリティ・クリアランス制度も導入された。これにより、経済安全保障は理念的なスローガンから、企業が実務として遵守すべき具体的な法的・制度的要件へと変貌を遂げた。半導体や蓄電池などの特定重要物資を取り扱う企業や、通信・電力などの基幹インフラを担う企業は、政府による厳格な審査や計画認定を受ける必要がある。サプライヤーの背後関係を調査するデューデリジェンスやサイバーセキュリティ対策が不十分であれば、事業認可の取り消しや社会的信用の失墜といった致命的なダメージを受ける可能性があるため、企業は法務・コンプライアンスの観点からも組織体制を抜本的に見直さざるを得ない状況にある。

図表

背景4:技術・データ流出リスクの高まり

第4の背景として、技術覇権を巡る水面下の攻防と、企業からの技術・データ流出リスクの高まりが挙げられる。現代において国家間の優劣を決するのは、物理的な軍隊の規模だけではなく、先端技術における絶対的な優位性がある。注目すべきは、これらの最先端技術の多くが、国家の防衛機関ではなく、民間企業の研究開発によって生み出されるデュアルユース(軍民両用)技術であるという事実である。日本企業が長年の投資と努力によって培ってきた高度な製造技術や研究データが、巧妙なサイバー攻撃や不透明な企業買収、あるいは内部関係者の引き抜きといった人的ネットワークを通じて、意図せず潜在的な敵対国へ流出するリスクは飛躍的に高まっている。技術流出は、自社のグローバル競争力を失わせるだけでなく、日本および同盟国の安全保障を直接脅かすことにもつながりかねない。最悪の場合には、同盟国から技術流出の温床とみなされ、厳しい制裁の対象となる危険性すら孕んでいる。したがって、日本企業は自社のコア技術や機微なデータを正確に把握し、それらを保護するための厳格な情報管理体制やアクセス制御、さらに従業員教育を徹底することが不可欠となっている。

経済安全保障は新時代の経営の前提条件

以上のように、日本企業が今、全社を挙げて経済安全保障に取り組まなければならない理由は極めて明確である。それは、激動する国際情勢の中で予期せぬリスクから事業継続性を確保し、企業の存続そのものを守るための防衛策であると同時に、新たな制約とルールの下で、いかにグローバルな競争優位性を築くかという攻めの経営戦略でもある。もはや、政治と経済を完全に切り離し、国家間の対立から距離を置くことで利益を享受できた牧歌的な時代は戻ってこない。経営陣には、国際政治のダイナミズムを常に注視し、地政学的リスクを事業リスクとして定量・定性の両面から評価するとともに、サプライチェーンの急所を把握した上で、迅速かつ柔軟な意思決定を下せる体制の構築が求められる。経済安全保障への対応は、一過性のブームや単なるコンプライアンスコストの増加ではない。それは、新時代のグローバルビジネスにおける絶対的な前提条件であり、信頼できるパートナーとして国際市場から選ばれ、激動の時代を生き抜くための不可欠なパスポートなのである。

執筆者
和田 大樹
株式会社Strategic Intelligence
代表取締役社長 CEO

国際安全保障研究者。専門分野は国際安全保障論、国際テロリズム論、経済安全保障、地政学リスクなど。海外研究機関や国内の大学で特任教授や非常勤講師を兼務。また、国内外の企業に対して地政学リスク分野で情報提供を行うインテリジェンス会社の代表を務める。