
中小企業、インド進出のリアル ①期待と現実のギャップ
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近年、東南アジアに拠点を構える日系企業の間で、インド進出が話題に上る機会が増えています。「市場規模は凄まじい」「インド人とのビジネスは大変」「価格競争が激しい」など、ネガティブな声も多い中、当社も“噂のインド”に本気で進出を試みました。コロナ禍直前の出来事ですが、現在も状況は大きく変わっていないように感じます。今回から数回にわたり、その実体験をお伝えします。
目次
市場ポテンシャルはタイの10倍以上?興奮しかない!
家電業界に身を置き、資本力で大きく上回る海外の競合メーカーとタイ市場で真正面から争ってきた当社は、長らく今後の成長戦略が描きづらい状況が続いていました。そんな折、2018年頃、タイで取引のあるお客様がインド北部に工場を竣工し、生産を開始したというニュースが入ってきました。
日系の中小製造業が海外に進出するきっかけは、多くの場合「先に進出した取引先への現地供給」です。特に、当社がタイに進出した1989年頃は、プラザ合意後の円高を背景に、大手製造業が次々と海外に生産拠点を立ち上げ、それに追随するかたちでサプライヤー各社が進出し、強固な日系サプライチェーンを築きました。
インドにおいても、スズキを筆頭に日系企業の進出事例はあったものの、「価格弾力性の低さ(安くなければ売れない)」「現地経営の難しさ」「駐在員のハードシップの高さ」などが課題となり、特に中小企業の進出先は東南アジア止まりというところが多かった印象があります。
しかし、日本はおろかタイでも市場の先細りが見えていた我々にとって、このお客様のインド進出は非常に新鮮で、すぐにインドのことを調べ始めました。
当社の主力製品は冷蔵庫用ドアパッキンですが、当時の冷蔵庫生産台数は、タイが年間約700万台、インドは約1,000万台でした。近いように見えますが、実は、インド国内の冷蔵庫の世帯普及率は10%以下に過ぎず、これが将来100%近くまで普及した暁には、インド国内の需要だけで、海外向けにも生産しているタイ市場の14倍以上にもなることがわかっているわけです。
この数字を見た私は興奮し、「兎にも角にも一度インドへ行ってみよう」と上申。こうして、初めてのインド出張が決まりました。
見るもの聞くものすべてが衝撃的 はじめてのインド旅
そのお客様が工場を構えるのは、インド・ニューデリー近郊の開発区域グルガオン。我々一行は不安を抱えながら、ニューデリーのインディラ・ガンジー空港に降り立ちました。空港ターミナルは非常に近代的で、外に出ても覚悟していたような客引きなどはまったくおらず、いささか肩透かしを食らったほどです。しかし、事前に予約していた日本語対応の運転手付きレンタカーが到着すると、開口一番「で、どこに行くの?」と。二泊三日の行程を地図付きで細かく事前にメールしておいたにもかかわらず、その情報はドライバーに一切共有されていませんでした。
今では考えられませんが、そのときは私も同行した上司も、モバイルローミングやWi-Fiを用意しておらず、「メールは夜ホテルのWi-Fiで捌けばいいでしょ」というノリで来てしまったのです。これでは行きたい場所に行くこともできない。そんな状況の中で救いだったのが、事前に「何かあった時のため」とスマホにダウンロードしていた訪問先とその周辺の地図でした。GPSはインターネットがなくても作動するため、それを頼りに運転手になんとか説明することができました。もしこれがなかったら、上司ともども、はじめてのインドで途方に暮れていたことでしょう。
そしてようやく一安心して走り出すと、「日中から道端で談笑している多くの男性」「ゴミの多さ」「牛の多さ」「遠くが霞むほどの空気の悪さ」など、その景色には噂で聞いていた以上の衝撃を受けました。
メインイベントとして訪問した、進出済みのお客様は温かく迎えてくださいました。話を伺うと、やはり現地での製造・販売には多くの苦労があるようです。製造面では、インド人スタッフと一緒にやるには独特の難しさがあるのは当然として、特に販売面では、日系企業のプレゼンスが低いことから、他の東南アジアや東アジアのように「日系なら高くても品質が良いから買う」とはならず、欧米系や韓国系、ローカル系との激しい価格競争にさらされ、生産台数もなかなか伸びない様子でした。
このほかにも、タイや日本でお付き合いのあった日系企業のインド法人を訪問しましたが、どの会社も「10年やっていて、先月初めて単月で黒字が出ました」「まだまだ赤字ですが、必死に種まきをしています」といった状況で、本体の資本力と、現地赴任者の肉体的・精神的なタフさがなければ、進出しても維持することが難しい現状を目の当たりにしました。
将来的な工場進出も視野に入れて、いくつかの工業団地も見て回りました。日系企業向けに開発された新しい工業団地は非常に綺麗でしたが、その他の大半は、大規模な工業団地であっても、ゴミの山(例えではなく、文字通り丘のように積み上がったゴミ集積場)が団地の中に存在していたり、道の作りも粗悪だったりと、とにかく衛生環境が悪いところばかりでした。
単独での進出は難しそう合弁はどうか
このように、事業環境的にも生活環境的にも厳しいというインドの現実を、肌で思い知ったのが最初の訪問でした。
その後は、タイや日本で既存取引がないものの、現地で大きな工場を構えるポテンシャル顧客を訪問しようとLinkedIn経由でメッセージを送ったり、インド人の知人から繋いでもらおうと試みたのですが、話を聞いてくれる人はほとんどいませんでした。
それでも「とりあえず行ってみよう」と私ひとりで再びデリーを訪問してみると、なんとか担当部門のスタッフに会えたものの、「まだ工場がない?じゃあ帰れ」と、ほぼ門前払い。現地の競合動向や新たなサプライヤーへの興味関心といった有益な情報を得ることはできず、「日系企業以外には、インド人同士でないと営業はほぼ不可能」という、新たな厳しい現実を突きつけられました。
とはいえ、当時の私は個人的にタイで燻ってしまっていたこともあって、どこかインドに取り憑かれたような状態になっており、「どうにか進出できるように」と前向きな可能性を模索し続けていました。
実はこの初訪印よりずっと前、インドで当社と同じように軟質樹脂の押出成形をしているローカル企業から、「一緒に事業ができないか」と突然メールをもらったことがありました。その際は社長が「今はやらない」とあっさり断ってしまったのですが、ふと思い立って、その同業他社(以下、M社)に数年ぶりに連絡をしてみました。するとすぐに「ぜひ会いたい。ムンバイに工場があるので、一度来てもらえないか」と返事があり、それまでデリーとグルガオンしか訪れたことのなかった私は、ムンバイ行きのチケットを手配したのでした。
次回はM社との合弁企業立ち上げ準備プロセスについて綴っていきます。









