
不動産バブル崩壊と軍との対立で揺らぐ習近平体制の行方
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中国は東南アジアの政治と経済に強い影響を及ぼし、ベトナムも軍事的脅威に晒されている。その中国でいま異変が起きている。公式な発表はなく、内容を100%信じることはできないが、最近、中国国外に住む中国ウォッチャーがネット上で発信する複数の情報を総合すると、習近平の権力は弱まりつつあるようだ。今回は、この異変について書きたい。
目次
集団指導制の終焉と習近平による独裁体制の確立
まず、習近平と中国共産党の関係について概観する。中国共産党は、毛沢東の独裁が文化大革命という大災厄を招いた経験から、集団指導制へと移行した。これは鄧小平が築いた制度である。1978年に権力基盤を固めた鄧小平は、独裁者と呼んでもよい立場にありながら、あえて共産党総書記や国家主席には就任しなかった。自らの行動によって、集団指導制のあり方を体現したのである。
彼が死去した1997年以降、江沢民と胡錦濤が共産党のトップとなったが、その時代の中国は集団指導制であり、トップが独断で物事を決めることはできなかった。これを変えたのが、2012年に総書記に就任した習近平である。彼は汚職撲滅を掲げ、政敵を巧みに追い落として独裁的な権力を確立した。さらに、それまで2期10年と定められていた総書記の任期を改め、2022年には3期目に突入した。
経済成長が支えた習近平支持、不動産バブル崩壊で一変
周囲がそれを容認した背景には、習近平が強大な権力を握り、逆らうことが難しかったことに加え、経済が順調に発展していたという事情もあった。2010年代の中国はまさに黄金時代である。2008年、中国のGDPは日本を抜き、世界第2位に躍り出た。習近平が政権を担った2012年以降も経済は順調に拡大し、近い将来には米国をも凌駕すると言われていた。
当時、多くの中国人が自信に満ちていた。習近平は対外政策として一帯一路を掲げ、戦狼外交を採用した。これらは習近平一人の発想ではなく、幅広い国民から支持を得ていたと見られる。
中国は1840年のアヘン戦争から第二次世界大戦まで、西欧列強や日本による侵略を受け続けた。その記憶は現代になっても中国人の心に屈辱として刻まれており、国力が回復した暁にはその屈辱を晴らしたいと考える人も少なくなかった。習近平の対外政策は、まさにそうした人々の心情を映し出したものと言ってよい。
習近平は3期目の任期中に台湾へ侵攻するとの観測があったが、それは本当かもしれない。習近平は、台湾を「解放」した皇帝(総書記をそう呼んでも差し支えないだろう)として、歴史に名を刻むつもりでいた。権力を維持するため、彼は腹心を要職に据え、一般市民だけでなく、敵対しうる共産党の長老までも監視下に置いた。それでも、経済が順調に成長している間は、人々は習近平の独裁を容認していた。
しかし、不動産バブルが崩壊し、経済が伸び悩むと、人々の習近平を見る目は変わった。経済の悪化は、人々の懐具合に直結する。国を立て直してほしいという願いは、歴史的屈辱を晴らすことよりも切実な要求である。だが、習近平はその期待に応えることができなかった。
北戴河会議で露呈した健康不安と軍統制力の限界
潮目が変わったのが明らかになったのは、2024年の北戴河会議である。毎年8月上旬、引退した長老と現役幹部が渤海湾に面した避暑地・北戴河に集まり、意見を交わす。この会議の起源は、夏になると北戴河に避暑に訪れていた水泳好きの毛沢東にさかのぼる。毛沢東はお気に入りの幹部を呼び寄せ、秋以降の政治について密談を重ねた。これがやがて、長老と現役幹部が避暑地で意見交換を行う恒例行事へと発展した。
北戴河会議は非公式の行事であり、開始や終了の時期などは公表されない。秘密会議ではあるが、参加者が多いため、夏の終わり頃になると内容が断片的に漏れ伝わる。
昨年の北戴河会議後には、習近平が体調を崩したとの噂が広まった。その後、習近平は何度も公式の場に姿を見せ、噂を払拭したかに見えたが、今年に入って再び公の場に出る機会が減少。リオデジャネイロで開かれたBRICS会議も欠席し、李強首相が代理出席することとなった。
特に、習近平の軍に対する影響力は急速に低下した。知人によれば、人民解放軍は巨大組織であり、その掌握は極めて難しい。その歴史の中で、人民解放軍を完全にコントロールできたのは毛沢東と鄧小平の二人だけだった。よほどのカリスマ性がなければ、軍を動かすことはできない。
毛沢東は実質的に人民解放軍の創設者と言ってよく、鄧小平は日中戦争や国共内戦期に軍の政治局員を務め、多くの軍幹部と交流を持ち、軍に強い影響力を有していた。しかし、江沢民、胡錦濤、そして習近平はいずれも軍歴がない。軍歴のないトップが軍を掌握することは、極めて困難なのである。
軍の事業利権と汚職、台湾侵攻方針を巡る対立
さらに、人民解放軍ならではの事情がもう一つある。それは、軍が経済事業を行っているという点だ。1978年に鄧小平が権力を掌握した当時、中国政府は軍を養うだけの資金を十分に持っていなかった。このため、軍が独自に事業を行い、自らの給与の足しにすることが許された。その後、改革開放路線の進展とともに、軍はさまざまな事業を手掛け、その利益を自らの懐に入れてきた。
習近平はトップの座に就くと、台湾侵攻を念頭に軍備を拡張した。米国の空母打撃群に対抗するためロケット軍を創設し、海軍も増強した。現在、中国は遼寧、山東、福建(電磁カタパルトを備える新型で試験運転中)の3隻の空母を保有している。
しかし、この軍備拡張政策において、軍が独自に事業を行ってきたことが裏目に出た。どの国でも軍産複合体の制御は難しいが、軍が自前の事業を抱える中国では、その統制は極めて困難だ。軍事機密であると言われれば、外部から事業を監視・監督することはできない。そうした状況下で軍事費が増額されると、軍人たちはその一部を横流しして私腹を肥やすようになった。
習近平が第3期目に入り、台湾侵攻が現実的な課題になると、軍との間に軋轢が生じた。習近平は、第3期が終わる2027年までに台湾へ侵攻したいと考えたが、軍は反対した。習近平は、過去10年間に十分な予算を与えてきたのだから、侵攻は可能なはずだと思ったが、軍は米国の実力をよく知っており、上陸作戦を伴う侵攻は不可能だと答えた。
そんな軍に対して、習近平は査察を行った。その結果、軍事予算の相当部分が汚職によって失われていたことが明らかになった。ロケットの燃料タンクに水が入れられていた。燃料を購入するための予算が横流しされていたのだ。一事が万事この調子で、軍は腐敗していた。これを知った習近平は激怒し、関係者を処分して、自らの意思に忠実な軍人を重要ポストに配置した。これが軍と習近平の間に深刻な対立を生んだ。
軍人たちは密かに反撃の機会をうかがっていた。その機会は意外に早く訪れた。不動産バブルの崩壊によって不況となり、多くの人々が習近平に不満を抱くようになったからだ。昨年夏、習近平が体調を崩すと、軍は反撃に出た。習近平派の軍人を汚職の嫌疑で失脚させたのである。習近平はこれに反撃することができなかった。
「政権は銃口から生まれる」。これは毛沢東の言葉だが、中国で政権を維持するためには軍の支持が不可欠だ。習近平はいま、その軍から支持されていない。今年に入り、そうした情報が駆け巡ると、習近平の求心力は一気に低下した。
後継者不在と構造的リスクが長引かせる中国政治の混迷
一部には、習近平がこの夏にも引退するとの噂がある。しかし知人は、死亡しない限り中国のトップが途中で引退することはないと言う。過去の王朝でも、皇帝は死去するまで帝位にあった。それが中国の伝統である。
ただ、習近平が4期目に入るのは難しいとも言う。とはいえ、習近平の後を継ぐ人物が見当たらない。それは、習近平が自らの後継者を育ててこなかったためでもあるが、誰が共産党総書記になっても、不動産バブルの処理は極めて困難だからだ。バブルはあまりに膨らみすぎ、もはやその処理は不可能と言ってよい状態にある。
現時点で確かなのは、習近平が急速に権力を失いつつあり、かつ次のトップが決まっていないということだけだ。この状況では、大胆な政策を打ち出すことはできない。2027年10月に開かれる共産党大会で次の総書記が決まる予定だが、それまでは中国政治の水面下で暗闘が続くだろう。
そして次の総書記が決まっても、それで終わりではない。知人は、頭の良い者なら次の総書記の座など望まないはずだと言う。中国の歴史を振り返れば、不安定な状況で担ぎ出された皇帝は不幸な結末を迎える場合が多い。引き続き、中国から目が離せない状況が続く。









