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陸ASEANにおけるカンボジアのポテンシャル

陸ASEANにおけるカンボジアのポテンシャル

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日本人にとって東南アジア諸国連合(ASEAN)と聞いてまず思い浮かぶのは、シンガポール、タイ、そして最近ではベトナムだろうか。ASEANの中でも、タイ、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーの5ヵ国を指す「陸ASEAN」という言葉があり、タイを中心とした経済圏においては、CLMV諸国という略称もある。本稿では、その「陸ASEAN」の中でも再評価が進むカンボジアに焦点を当て、今年3月初旬に日本貿易振興機構(ジェトロ)主催で行われた投資視察ミッションの様子を紹介しながら、同国の課題と可能性を探ってみたい。

タイとベトナムに挟まれた戦略拠点

「中所得国の罠」からの脱却にもがくタイは、国境を接するカンボジア、ラオス、ミャンマーを一つの経済圏とすることで高所得国入りを目指している。しかし、タイの次と思われていたミャンマーが再び内戦状態に陥り、その収束が見えず、また、ラオスは人口が800万人以下という市場規模ゆえに産業界からの期待は低い。そうした中で、半ば消去法的にも再評価され始めているのがカンボジアだ。

「タイの3分の1」のカンボジアとは

「タイやベトナムに比べると経済の発展段階が1段、2段手前の段階にある。逆に言えば潜在的な発展の可能性が大きい」

植野篤志駐カンボジア大使は3月4日、約45人の日本企業関係者が参加したジェトロ投資ミッション団に対し、カンボジアの現況をこう概観した。コロナ禍前の2019年までは年8%近い経済成長を遂げていた同国だが、パンデミックの影響で2020年にはマイナス成長に転じた。その後、2021年以降は徐々に回復し、2024年の成長率は6%で、メコン5ヵ国のGDP成長率予測では、ベトナムと競う成長率が期待されている(図表1)。図表1 メコン5ヵ国の実質GDP成長率の推移(2017~2027年)

植野大使は、カンボジアについてタイと比較する形で、人口は1,800万人弱、面積は18万平方キロメートル、1人当たりの国内総生産(GDP)は昨年の推計で約2,740ドルと、いずれもタイの3分の1から4分の1強だと表現。さらに、「タイやベトナムと一番違うのは在留法人数と進出日系企業数で、在留邦人数は約3,000人とタイの24分の1、進出企業数は400社以上でタイの15分の1」だと紹介し、人口規模などでは日本企業と日本人の進出余地は依然として大きいとの期待を示した。

「タイプラスワン」「ベトナムプラスワン」

東南アジアに特に縁のない一般の日本人にとって、カンボジアで知っているのは世界遺産のアンコール・ワットと1970年代のポル・ポト派による大虐殺という悲劇ぐらいだろうか。西はタイ、東はベトナムに挟まれていることが、東南アジアにおけるカンボジアのポジションを示している。カンボジアの地図です
ジェトロ・プノンペン事務所の大西俊也シニア投資アドバイザーは、「インドシナ南部を横断する陸路の重要幹線である南部経済回廊はホーチミンからバンコクに抜ける陸上の輸送路で、その中心に位置するのがカンボジアの首都プノンペンだ。『タイプラスワン』、『ベトナムプラスワン』の戦略と地の利は活かせる」と説明する。ちなみにカンボジアの主要産業は、①農業、②縫製業、③観光・サービス業、④不動産・建設業だ。

直接投資では圧倒的に中国依存

カンボジア開発評議会(CDC)のデータによると、カンボジアへの外国直接投資(FDI)の国別シェアは、中国が毎年のフローで8割と圧倒的で、累積(1994~2024)でも5割と非常に大きな割合を占めている。日本の累積シェアは4.7%で、5位にとどまっている。海外直接投資の業種別では工業が67%、インフラが16%、観光が14%、農業が4%となっている。

カンボジアには大型投資誘致を図るための適格投資案件(QIP)という制度があり、税務面などで優遇措置を付与している。カンボジアの誘致策の特徴としては製造業だけでなく、金融機関含めほとんどのセクターで、東南アジアでは珍しく外資100%でも事業登記が可能となっている。

大西氏によると、QIP制度によるFDIは2024年には総額で前年比32.6%増、同年の国別シェアでは中国が75%を占めた。大西氏は「シアヌークビル港は日本の政府開発援助(ODA)で拡張整備が続けられているが、それ以外の空港や高速道路などハコモノと言われるインフラ投資は中国の援助で、民間投資でも中国とのつながりが深い」と指摘している。

一方、日本企業の投資について大西氏は「2010年代初頭には、ミネベアミツミや味の素、デンソー、イオンといった日本企業の大型投資がブームになっていた。しかし、残念ながら2016年以降は減少トレンドとなり、近年はコロナの逆風もあり、ほとんど低空飛行というのが実情だ」と報告した(図表2)。図表2 カンボジアにおける日中QIP企業の対内直接投資(認可ベース)

安定した政治・社会情勢?

カンボジアの貿易構造について、植野大使は「中国から繊維製品の原料を輸入して、それをシャツやスポーツウェアに加工して米国に輸出するというのが典型的な貿易構造だ」と説明する。カンボジア関税消費税総局によると、2024年の主な輸出品目は、縫製品、革製品・かばん、履物、電気部品で、輸入品目は、宝石・貴金属類、繊維原料、鉱物原料、車両などとなっている。輸出先では米国が37.9%と最多で、ベトナム13.8%、中国6.7%と続く。輸入元では中国が47.1%を占め、次いでベトナム14.6%、タイ12.1%の順だ(図表3)。こうした「中国から輸入した原材料を加工して米国に輸出する」という貿易構造が、トランプ大統領が2025年4月2日に発表した米国の相互関税において、カンボジアが中国を除く国の中で最高水準となる49%の関税率を課された背景だろう。図表3 相手国別輸出入(単位:100万ドル、%)
また、2014年にジェトロが実施した海外進出日系企業の実態調査によると、カンボジア進出企業が同国のメリットとして挙げたのは、①安定した政治・社会情勢、②人件費の安さ、③市場規模・成長性、④言語・コミュニケーション上の障害の少なさ、⑤駐在員の生活環境、の順だった。一方、リスク要因としては、①法制度の未整備・不透明な運用、②税制・税務手続きの煩雑さ、③現地政府不透明な政策運営、④行政手続きの煩雑さ、⑤人件費の高騰、が挙げられている。

拡大するインフラと製造業投資

筆者が前回、カンボジア・プノンペンを訪問したのは2018年6月だ。当時はイオンモール2号店のオープニングセレモニーの取材が目的だった。この時、カンボジア初の近代的ショッピングモールとして2014年に開店した1号店がいかにプノンペン市民の生活を激変させたかを表現する「Before AEON、After AEON」というフレーズを知った。

6年半前の当時は、プノンペン市内には高層ビルが数えるほどしかなかった記憶があるが、今回、モダンで先鋭的なデザインの高層ビルが街のあちこちで見られたことに驚いた。途上国が既存の技術やインフラを飛び越えて、最新技術を導入して急発展する『Leapfrog(蛙飛び)』という言葉のように、バンコクが20年以上かけて築き上げてきた近代的都市が、規模ははるかに小さいながら、プノンペンではこの数年で一気に誕生しつつある印象を受けた。プノンペン市内の高層ビル(筆者撮影)

チャントール副首相のパッション

「フン・セン氏が1998年に首相に就任以来、完全な平和が守られている。われわれは低インフレ率を維持し、為替相場も安定している。そして公的債務の国内総生産(GDP)比は30%台と低水準だ、カンボジアは投資拡大のために借り入れられる余地は大きい。われわれはビジネス支援政策を実行し、経済成長につなげていく」

3月5日にカンボジア開発評議会(CDC)を訪問したジェトロ投資視察ミッション団を前にこう自画自賛したのはカンボジアのスン・チャントール副首相兼CDC第1副議長だ。日本に何度も訪れたことがあり、カンボジアに関わる日本企業の間では著名な存在である。チャントール副首相は、民間部門が経済成長のエンジンになれると確信しているとした上で、「われわれの国家再建を支援してくれた日本人と日本政府に感謝の意を表明したい」などと熱く語り続けた。このミッション団との会合直後に予定されていた日カンボジア官民合同会議に出席するため、名残惜しげに席を立ちながらミッション団を何度も振り返って、「投資に興味がある人はぜひ私に直接連絡してくれ」と言い残すなど、その強いパッションとサービス精神に驚いた。

チャントール副首相はかつて運輸相を務めたこともあり、この日のスピーチでもシアヌークビル港や、近年話題のフナン・テチョ運河など輸送インフラについて多くの時間を割いた。国際協力機構(JICA)が支援を続けているシアヌークビル港の拡張工事の現状を報告した上で、「もう一つの重要プロジェクトがフナン・テチョ運河で、われわれの川と海をつなげ、出荷距離を短縮、時間とコストも削減できる」と訴えた。

運河計画とグレーターメコン

カンボジアの貨物輸送ルートとして重要なのがメコン川だが、太平洋側に輸出するためにはベトナムを抜けなければならない。そこではベトナム国境を越える税関手続きがネックとなる。フナン・テチョ運河を作れば、ベトナムを抜けずに太平洋側に輸出できる。チャントール副首相は「このプロジェクトにより、自分の領土から船積みでき、世界に出荷できるようになる。2028年までに工事が完了する予定だ。ゲームチェンジャーになる」とアピールした。ちなみに、フナン・テチョという名称の「フナン」は紀元後1世紀か7世紀にかけてメコン川下流域(現在のカンボジアとベトナム南部)で栄えた古代国家「扶南」から命名されたという。メコン川とプノンペン経済特区の地図そして、「1,700万人の市場に投資するのではなく、カンボジア、ベトナム、タイ、ラオス、ミャンマー、そして中国南部を含むグレーターメコン地域を考えよう」と訴え、「最近では、中国からのリスク分散を望む国からの興味が寄せられている」と報告。カンボジアへの急速な関心の高まりから、CDCは2024年に過去最高の414プロジェクトを承認しており、2023年比54%増だ。今年は既に最初の2ヵ月間で112件を承認、今年は500件以上のプロジェクトが承認される見込みだという。

プノンペン経済特区にて

「西にタイ、東にベトナムとメコン地域の製造業の2大拠点に挟まれているので、いかにそのサプライチェーンに組み込まれるかが大事だ。カンボジア政府も人口的にもメインの生産拠点になることは考えていない。あくまでメコン地域のサプライチェーンを補完し、リスク分散する場所という位置付けだ」

こう説明するのは、プノンペン郊外にあるロイヤル・グループのプノンペン経済特区(SEZ)の上松裕士最高経営責任者(CEO)だ。「日本企業の進出スピードは鈍化しているが、それでもまだ日本企業が一番多い。カンボジアも今、世界情勢の影響を受けて、中国本土の製造業の進出が増えている」と現状を指摘。そして、「われわれは最初から縫製業以外の新しい産業を誘致するということで取り組んでいる。カンボジア人は細かな作業が得意で、電子電機部品系が一番適している」と報告した。さらに、「年齢的にも20代半ばが多く、目も非常に良いので、高い生産性を達成している」とし、輸出もコロナ禍を経て増え続けているという。

プノンペンSEZは2006年4月に設立され、2021年に通信、金融、電力、鉄道など多角経営を行う大手財閥ロイヤル・グループの傘下に入った。現在、入居企業数は114社で、すでに空き地はほとんどなく満杯状態だいう。国別の入居企業数は日本が44社で最多、中国が30社、カンボジア10社、タイ7社と続く。

生産品目別企業数では、電気・電子部品、食品・飲料、縫製、自動車部品などの順で多く、入居企業の全従業員数も右肩上がりで増えている。入居する日本企業としては、ミネベアミツミ(従業員数7,050人)、住友電工系のワイヤーハーネス会社であるスミ・ワイヤリングシステムズ(4,910人)、デンソー(620人)、味の素、トヨタ自動車(豊田通商)などが挙げられる。一方、非日系企業では、中国のスポーツ・カジュアルウエア製造会社、マーベル・ガーメント(1万8,810人)の規模の大きさが目立つ。

シアヌークビルに見る脱中国と物流強化

今回、日本貿易振興機構(ジェトロ)のカンボジア視察ミッションに参加したのは、日本の政府開発援助(ODA)で開発・整備が進められているシアヌークビル港と、その周辺のリゾート開発が中国主導の巨大経済圏「一帯一路」構想の対象となり、中国資本が大挙押し寄せたシアヌークビル市の現状をこの目で確かめたかったからだ。

事前に少し聞いていた通り、新型コロナウイルスの流行を機に中国人は一気に撤退し、建設途中で放置されたままのビルや、完成したもののまったく入居されていないカジノホテルやコンドミニアム、オフィスなどが幽霊ビルと化して、無残な姿をさらしていた。それはまさに、需要を無視して乱開発された高層ビルや町全体が廃墟と化している中国の不動産バブル崩壊を伝える映像とほぼ同じで、いわゆる中国の「鬼城」のミニ版を見ているかのようだった。シアヌークビル港・シアヌークビル鬼城(筆者撮影)

深海港整備で欧米直行の船便も

「カンボジアの海の玄関口であるシアヌークビルという重要インフラを日本が担ってきた。経済成長とともにコンテナ取扱量は順調に増え、2024年には100万TEU(20フィート標準コンテナ換算)を初めて達成した(図表4)。これは日本の博多港に匹敵する」と説明するのは国際協力機構(JICA)カンボジア事務所の讃井一将所長だ。図表4 年間コンテナ貨物取扱量の推移
シアヌークビル深海港は、2023年12月に第1フェーズのコンテナターミナル(水深14.5メートル)の起工式が行われ、2025年から第2フェーズ(同16.5メートル)、26年から第3フェーズ(同17.5メートル)のコンテナターミナルの建設が予定されている。いずれも円借款によるものだ。讃井所長によると、「30年には年間約250万TEUの取り扱いが可能になり、名古屋港にほぼ匹敵するようになる」という。シアヌークビル港湾公社(PAS)も、第3フェーズが完了すればほぼすべての大型船の入港が可能になり、これまでタイのレムチャバン港かベトナムのホーチミン経由で輸送していた欧米向けの貨物が、カンボジアから直接出荷できるようになると説明している。

讃井所長は、「カンボジアはベトナムとタイの成長力をいかに取り込んでいくかが重要であり、その際に大きな役割をはたすのが物流インフラで、特に重要なのが南部経済回廊だ。プノンペンからベトナムに向かう国道1号線、プノンペンからタイに向かう国道5号線の改修・整備の75%が日本からの無償・有償資金協力で行われた」と日本の貢献ぶりをアピールする。一方、シアヌークビル知事によると、2025年第3四半期にはプノンペンで滑走路3,700メートルの新国際空港が供用開始される予定だが、これは中国の支援によるものだという。

物流課題とイオンの挑戦

「2014年にプノンペンにイオンモール1号店がオープンした。プノンペン市民の生活習慣をトラディショナル・トレードからモダントレードに変えた。市民の間で『Before AEON, After AEON』という言葉が使われるようになった」と説明するのは、2022年にイオングループとして初の倉庫業の専門会社としてカンボジアに設立されたイオンモール・ロジ・プラスの小野識人ゼネラル・マネジャーだ。小野氏は、「フン・セン前首相が自分の一番の功績は何だったかとのメディアの質問に対し、イオンを連れてきたことだと答えたと聞いている」との逸話を披露した。それだけイオンの進出がカンボジア国民の生活に与えたインパクトが大きかったということだ。イオンモール・ロジ・プラス(筆者撮影)
イオンモール・ロジ・プラスは「カンボジア経済成長の柱となる製造業の直接投資誘致では物流がカギとなる」との考えから、シアヌークビル港のコンテナターミナルの隣接地に整備された経済特区内に、カンボジア初の「保税非居住者運用」の認可倉庫を建設。2023年7月に貨物の受け入れを開始した。敷地面積は1万8,212平方メートルで全天候型の屋内倉庫とスケルトン型の倉庫で構成される。

小野氏はカンボジアの物流課題として、①原材料などの現地調達比率がアジア最低の9.7%と現地調達が困難であること、②シアヌークビル港の船便が週16便と非常に少ないこと、③物流インフラのぜい弱さ、などを挙げる。一方で、同社の倉庫があるシアヌークビル港からプノンペン経済特区までの距離は約200キロだが、国道では6時間かかるところ、2022年に完成した高速道路を使えば2時間半で到着できるとアピールした。

COLUMN:中国への依存度は低下へ?
カンボジア政府は5年ごとに国家開発戦略を更新しており、2023年8月にフン・マネット政権が誕生した際には、4つのテーマを柱とする前政権の「四辺形戦略」に「デジタル経済社会の発展」を加えた「五角形戦略」を打ち出した。

JICAカンボジア事務所の讃井所長はこの新戦略でもJICAが新たにやるべきことが増えたと述べた。そもそも、インドネシアやベトナムなどでは経済成長が進み、JICAを通じた無償資金協力や技術支援の余地は少なくなってきている一方で、「カンボジアではJICAの支援ニーズは大変高く、活躍の余地がある」とし、特に2019年ごろから円借款が右肩上がりに伸びているという。このように借款額が増える中でも、「公的債務のGDP比は約35%で安全水域にある」とし、今後も円借款の拡大を目指している。

なお、カンボジアの対外公的債務の国別比率を見ると、中国が34%でトップ、アジア開発銀行(ADB)が21%、世界銀行は12%、日本も同じ12%だが第4位に位置している。ただし、中国の比率は2018年の48.7%をピークに漸減してきている。ピーク時の数字からはカンボジアも中国の一帯一路構想に伴う債務の罠に陥っているのではとの見方も広がったが、中国への依存はかなり低下しつつある。

カンボジアでも不動産バブル

三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)傘下のタイ・アユタヤ銀行の調査会社であるクルンシィ・リサーチは、2025年3月に公表したラオスとカンボジアの経済の現状と課題を分析するリポートで、カンボジア経済について次のように分析している。

カンボジアでは、2009年から2021年の間に急拡大した民間融資の30%以上が不動産・建設部門に流れたが、コロナ禍以降、融資の伸びが急速に鈍化し、銀行の不良債権の増加につながったと説明。こうした金融の不安定性が、特に消費と投資に悪影響を与えていると指摘している。
また、中国による不動産部門などへの過剰な投資で2017年以降、シアヌークビルとプノンペンの住宅価格が急上昇したが、コロナ禍と中国からの投資の減少で不動産価格は大幅に下落(図表5)。これが銀行部門の不安定性につながったほか、中国への過度な依存の懸念が広がっているという。第2章で紹介したプノンペンでの高層ビル建築ラッシュ、そして本章で紹介したシアヌークビルの幽霊ビルで分かるのは、高度成長期特有の不動産バブルであり、そしてその一部崩壊が始まっているようだ。図表5 カンボジアにおける不動産価格指数の推移(2019年第1四半期を100とする)

フン・マネット政権への期待と大国の思惑

カンボジアでは、2023年7月の総選挙で与党・人民党が圧勝。同年8月には38年間首相を務めたフン・セン氏が退任し、息子のフン・マネット氏が首相職を引き継いだ。これは明らかな「世襲」として、世界から批判を浴びた。ただ、タイでは王室と軍部が圧倒的な地位にあり、ミャンマーでは軍事政権下で内戦状態が続き、ベトナムも共産党による一党支配体制にある。こうした状況を踏まえると、「陸ASEAN」と呼ばれる地域の中で、カンボジアだけが非民主的だとは言い難い。そもそも、欧米の民主主義の価値観が揺らいでいる。フン・セン氏(74) フン・マネット氏(47)

フン・マネット氏への世襲をどう評価するか

「親子で世襲ということにはもちろん批判もある。人権や民主という観点からすると100点満点とは言えない。ただ、投資家にとって重要な政治の安定性では、良くも悪くも非常に安定している」と表現するのは植野篤志駐カンボジア大使だ。

タイやミャンマー、そしてカンボジアの状況を見ると、東南アジアに民主主義が根付くことがあるのだろうかと思う。一方、日本も世襲議員が多数を占めている。むしろ、世襲したフン・マネット氏の履歴が興味深かった。同氏は米陸軍士官学校を卒業後、ニューヨーク大学で修士号を、2008年には英ブリストル大学で経済学の博士号を取得している。そして、今回のフン・マネット政権の閣僚の多くが、前政権の閣僚の息子などで構成されており、彼らも欧米やオーストラリアの留学組だという。内戦時代の古いしがらみを引きずる旧世代から、海外経験をした新世代へ徐々にバトンタッチしていくのだとすれば、カンボジアも新しい時代に向かうのではとの期待も出てくる。実際、カンボジアの日系企業関係者の多くがフン・マネット首相を含め、新政権のさまざまな決定や対応の速さなどを評価している。

中国の軌道から外れたのか

「第1期のトランプ政権時には米ワシントンではカンボジアは中国の直轄地という言葉で表現されていた。米当局者は2016年から2020年の間、(中国からの)資金支援の見返りで、カンボジアが軍港を中国の軍事拠点として提供するのではと疑った。・・・しかし、最近は中国とカンボジアの関係はそれほど良好ではない。中国は昨年、カンボジアへ新規融資をしなかった。特に、中国は、カンボジア政府の旗艦プロジェクトであるメコン川とタイ湾をつなぐ(フナン・テチョ)運河への投資に消極的だ」

英エコノミスト誌の2025年2月1日号で「カンボジアは中国の衛星軌道から外れたのか」というタイトルの記事を掲載している。同記事は、フン・セン氏やその他の前政権の閣僚が政権交代時にその地位を息子たちに譲ったが、これら新世代の指導者らは貧困だった内戦時代を知らず、平和な時代に育ち、大半が海外留学を経験していると説明。その上で、「米国では、新しいリーダーシップと中国との対立がカンボジアを中国の衛星軌道から引き離すチャンスだとの見方もある」と指摘している。

カンボジアも日本を見直しつつある

最近話題となっている中国の犯罪シンジケートなどによるオンライン詐欺事件ではカンボジアも拠点になっており、これが中国とカンボジアの間に軋轢(あつれき)を生んでいる。この影響で、「中国でもカンボジアのイメージが悪化し、特に若者がなかなか旅行に来てくれなくなった。投資や観光客も思ったほど回復しないので、カンボジア政府はこれまで中国に経済的に依存しすぎであり、もっと他の国ともつながりを強めて、パートナーを多角化しないといけないと考えているようだ。そうなった時に、真っ先に頼りにされるのは日本ということになる」と語るのは植野篤志駐カンボジア大使だ。

植野大使も先に指摘したように、現時点ではカンボジアにおける日本人および日本企業の存在感は、タイに比べればかなり低い。しかし、ポル・ポト派による大虐殺という歴史的悲劇の記憶が未だ強く残るカンボジアの人々の間では、国の復興を支えてくれた日本への感謝の思いは強いようだ。もちろん、近年のカンボジアにおける中国の圧倒的な影響力はすぐには変わらないだろう。そうした中で、日本とカンボジアの政府首脳の相互訪問は頻繁に行われており、2023年には外交関係樹立70周年を契機に、両国関係は「包括的戦略的パートナーシップ」へと格上げされた。

消去法としてのカンボジアなのか

「陸ASEAN」の中で、人口5,000万人超を擁し、タイに続く経済発展が期待されたミャンマーは、内戦の長期化により、当面は海外からの投資レーダーの視界から外れざるを得ない。そうした中で、タイ・バンコクとベトナム・ホーチミンをつなぐ南部経済回廊の中心に位置するカンボジアへの期待は徐々に高まっている。

人口は約1,700万人と、消費市場としては小さいが、年齢の中央値が26歳、人口増加率が1.23%と、若者が多い人口動態が改めて魅力となっている。一方で、ポル・ポト時代の最大の負の遺産である教師を含む知識層の不足が深刻な課題だ。JICAカンボジア事務所の讃井一将所長は、「特に経験豊かな良質の教師は不足していることが課題であり、教育改革が重要だ」と強調する。

国の復興、将来の発展に向け何から学ぶか

フン・マネット政権は、前政権の方針を引き継ぎ、「2030年までに上位中所得国入り、2050年までに高所得国入りを目指す」という目標を維持している。高所得国入りでは大きく先行しているはずのタイが「豊かになる前に高齢社会に突入」し、高所得国入りに黄信号が灯る中で、カンボジアの目標は非現実的に見える。

そして、ここにきてにわかに波乱要因となっているのが米トランプ大統領の相互関税の導入だ。英エコノミスト誌は2025年4月12日号のアジア面で、米国の相互関税導入戦略は、中国が東南アジアでの影響力を強めるチャンスになるなどと分析する記事を掲載。特に、4月14~17日に実施された習近平国家主席によるベトナム、マレーシア、カンボジア歴訪は、米国の「過ち」に付け込む良いタイミングかもしれないとの見方を示している。国の復興、将来の発展に向け何から学ぶか同記事はまず、中国を除くとほぼ最高水準の49%という関税率が課せられたカンボジアを取り上げ、輸出収入の半分以上を占め、その大半を米国に輸出している縫製業界への打撃は大きいと指摘。そうした中で、習主席の4月17日の訪問はカンボジアに安堵感もたらすとし、「われわれは米国に罰せられた小さな国だ。そして、世界第2位の経済大国の指導者である習主席が来る。とても高揚している」というカンボジア政府当局者のコメントを引用している。

カンボジアは、シアヌークビルの「鬼城」にみられる中国への過度の依存を反省し、日本などの投資を呼び込むバランスを取り始めた矢先に、「米相互関税ショック」に見舞われた。今後、中国に再傾斜し始めるのか。世界の地政学リスクの大波に翻弄される東南アジアの小国、カンボジアはその未来を自ら描けるのか。正念場は続く。

(経済ジャーナリスト・楠本 清志)

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