なぜ仕事は滞るのか。「渋滞学」が解き明かす効率至上主義の欠陥とは
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社会に溢れる詰まりの解消に挑む研究者であり、東京大学 大学院工学系研究科の教授を務める西成活裕氏。「渋滞学」という新しい学問を創出した西成氏ですが、「渋滞学」は単なる交通の話ではなく、人・モノ・情報などのあらゆる「流れの詰まり」を科学的に解明し、解決策を示す学問だと語ります。
今回は、西成氏に「渋滞学」の基本から企業における業務プロセス改善への応用、そして「無駄」と「利他」の視点に至るまで、幅広くお話を伺いました。デジタル化やDX化が進む昨今、「渋滞学」の知見が現場改善にどう役立つのかを探ります。
目次
はじめに
西成活裕氏は、東京大学工学系研究科で博士課程を修了後、交通や物流など社会の流れに注目した独自の学問「渋滞学」を築いてきました。著書『渋滞学』は講談社科学出版賞を受賞。同氏は、文部科学省「科学技術への顕著な貢献 2013」への選出や、2021年にはイグ・ノーベル賞も受賞されています。講義や講演、著書を通じて一般にも幅広く発信しており、「無駄学」「利他学」など、日常やビジネスに応用可能な流れの最適化を追究し続けています。
「渋滞学」という新しい学問が誕生したきっかけ
西成:私が「渋滞学」に着目したのは、今から30年以上前のことです。当時、私は流体力学を研究していましたが、その分野ではすでに理論が確立されており、新しい発見をするのが難しくなっていました。
しかし、流れの研究自体は続けたいと考えていた私は、より社会に直結した”ものの流れ”にフォーカスして研究したいと考えるようになりました。発想を転換して、「社会の流れ」に目を向けることにしたのです。
私は理論を研究したいという気持ちもありますが、それだけでなく社会の役に立ちたいという思いが強くあります。そこで、高速道路の渋滞や満員電車などの多くの人が困っている社会の流れの問題に数理的なアプローチで切り込むことを決意しました。「渋滞学」はその両方を同時に満たせる学問であると感じ、焦点を絞って研究を始めたのです。
最初は冷ややかな視線もあったが、徐々に他分野からも認められるようになった
西成:「渋滞学」の研究を始めた当初、周囲からの反応は冷ややかでした。当時の学問の世界は縦割り構造が強い部分もあり、分野をまたいだ研究は理解されにくかったのです。論文が通らなかったり、学会で発表しても関心を持ってもらえなかったりと苦労の連続だったことを覚えています。
しかし、テレビ番組などのメディア出演の機会が増えるにつれて、さまざまな分野の人々に「渋滞学」の面白さが知られるようになりました。その中には、私の研究に興味を持ってアドバイスをくれる人も現れ始め、「渋滞学」のさらなる可能性を感じることができたのです。今では、医学や農学といったあらゆる分野の方とコラボレーションすることができています。
しかし、あらゆる分野の専門家の方と私との間には共通言語がなかったため、議論を深めることはそう簡単ではありませんでした。その際に役立ったのが、数学と想像しやすい渋滞のイメージでした。数学は国や言葉をまたいで理解し合える共通言語として機能し、数式を通して専門外の人とも議論を深めることができました。また、「渋滞」や「人混み」という日常的な現象を取り扱っていたことも功を奏したと思います。誰にとってもイメージしやすい事象として、あらゆる業界の人に「渋滞学」を伝えることができました。
「渋滞学」とは何か?流れが滞る現象のすべてが対象
西成:「渋滞学」は車の渋滞に限った学問ではありません。流れがあるところには、必ずどこかに淀みが生まれます。私はさまざまな分野を横断しながら、あらゆる「動き」の詰まりをどうすれば解消できるかを探求しています。車の渋滞は、この学問のごく一部にすぎません。電車や飛行機、人の混雑なども研究の対象となっています。
また、目で見えにくい業務フローや仕事などの「流れ」の解消も研究対象です。今までに数多くの企業の経営コンサルを行い、現場で起きている業務の詰まりの改善に取り組んできました。特に仕事の現場では「詰まり」を見える化するだけで、関係者の意識が大きく変わることがよくあります。実際に「なぜ今まで気付かなかったのか」と驚かれるケースも少なくありません。

詰め込むほど非効率になる?「ゆとり」がもたらす効率化
西成:私はあらゆる流れの渋滞の緩和策として、「ゆとり」の重要性を指摘しています。従来までの渋滞研究は「どれだけ車間距離を縮められるか」という観点で行われていましたが、私はその真逆のアプローチを取りました。つまり「車間距離を空けたらどうなるのか」という観点で、渋滞の解消に挑んだのです。
この仮説は一見、常識に逆行するものでしたが、私はアリの行列が渋滞を起こさないという先行研究から閃いたのです。実際に実験を行ってみると、車間距離を空けたほうが最後の車が先にゴールすることがわかりました。
このことから、私は「ゆとり」を戦略的に取るほうが、長い目で見ると効率的ではないかと考えています。現代社会では効率を追求するあまり、できるだけ隙間を詰めて早く進もうとします。しかし、ゆとりがあれば多少の遅れが生じても、全体の流れを乱すことなく吸収できるのです。車の渋滞の研究で証明したことは、人間の社会にも通じる重要な示唆だと思います。効率至上主義に偏りがちな現代社会に、「ゆとり」の大切さを訴えていきたいです。
「待ち時間」は普遍的な無駄。業務プロセスの可視化から始める
西成:「渋滞学」のもう一つの重要な観点は、無駄な「待ち時間」を見つけ出すことです。多くの組織では、業務の効率化を目指して無駄の削減に取り組んでいます。しかし、その前に「無駄」の正体を見極める必要があるのです。意外なことに、多くの人は無駄の正体を正しく把握できていません。
そこで注目したいのが「待ち時間」です。待ち時間とは何もせずに時間だけが過ぎていて、仕事の流れが渋滞している状態です。これは無駄の定義にかかわらず、誰が見ても明らかな無駄だと判断できます。無駄の定義を考えることが難しいという場合、まずは待ち時間という普遍的な無駄を省くことをおすすめします。
病院や役所など、さまざまな組織で「待ち時間」の問題は存在しますが、それを発見するために有効な方法が、「今日一日、何を待ちましたか?」と現場の人に聞くことです。そうすることで、無駄な「待ち時間」が意外と多いことに気付くことができます。さらに、下流工程で待ちが発生してしまっている根本原因も見えてくるのです。
このような無駄な「待ち時間」を放置していては、業務の効率化は望めません。「待ち時間」を渋滞だと考えて着目することで、業務プロセスの無駄を発見し、改善につなげることができるのです。そのためには、現場の声に耳を傾け、問題の所在を明らかにすることが大切だと考えています。
後編では、無駄を定義する際に抑えるべき要素や利他の心の重要性、AI時代に価値がある試行錯誤の時間について深堀りしていきます。
(後編はこちらから)
取材・文:小町ヒロキ
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